「聖少女」 倉橋由美子
b0069502_2043537.jpg事故で記憶をなくした女子大生。
未紀は事故以前の自分が書いたと思われるノートを見つけてしまう。暗号のように謎がちりばれられた過去の自分。婚約者だと言う青年Kに彼女は、その手記の解読を委ねる。

倉橋由美子『聖少女』は昭和40年、新潮社出版「純文学書き下ろし特別作品」シリーズの一冊として刊行された作品。
この小説のテーマはずばり、incest。当時30歳だった著者が、不可能な愛である近親相姦を、選ばれた愛に聖化することを試みた、究極のロマネスク小説なのです。

いま、血を流しているところなのよ、パパ。なぜ、だれのために?パパのために、そしてパパを愛したためにです。もちろん。.....あたしはパパに電話をかけてこんなふうに話してみようかしらと考えました。息を切らして、熱っぽい声で。でもできればじかにパパの耳に口をつけていうのが効果的です。それにあたしはパパの耳の形がとても気に入っています。あの耳のなかの廻廊は、男らしく簡潔で、手入れもいきとどいています。今度会ったときにそういってあげましょう。耳のこと、それから血のことも。...(中略)
いま、ほんとに血を流しています。痛くて、すてきな気もち。いつからだったか....あのときは、一滴も血をみないですんだのに。でもこれはたしかではありません。パパの武器にほんのわずかに血を塗ったことに、あたしは気づかなかっただけなのかもしれない......あれがはじまった瞬間、壮絶な出血というあたしの期待が裏切られたので、あたしはひどく狼狽しました。あの儀式のはじまりは、水道管が破裂した時の勢でまっかなものが噴きだしてパパの顏を汚すことでなければなりません。これこそあたしの割礼の儀式、善の包皮を切り裂いて悪を裸にする儀式にふさわしいのに。しかし、ことはすべて曖昧に進行しました。もっとパパのように数知れない情事を重ねてどっしりしている男のかたには未熟な女の子との、犠牲や苦痛の血にまみれた契約といったものなんか、うんざりにちがいなかったでしょう。....

Kは元コミュニスト。仲間と一緒に犯した反社会的事件のため、高校を退学処分となるも、大学に進学。そのあとはガクレンアンポ、国会乱入、逃亡、逮捕...という破天荒な生活を送ります。そして24歳になった今、アメリカ留学を希望しているのですが、過去の悪事が足かせになって、なかなかアメリカ大使館からヴィザがおりず、悶々とする日々。
未紀と出会ったのは、高校生だった頃。白くふわふわした生き物のように見えた未紀。まだ16歳だった彼女は縄文土器の模様のような編み目の白いニットコートに身を包んでいました。このコートの下には白銀の色をした繻子の中国服。真っ白な顏の大半を占めて輝くような大きな黒い瞳の記憶。その瞬間からKの未紀に対する神秘化が始まったのです。
それ以来、未紀と会うのは数えるほどしかないものの、二人の間に友情めいたものが芽生え、彼女の手や髪にさわることなく、ある種の信頼関係が築かれていました。
状況が一変したのは、未紀が起こした自動車事故。22歳の女子学生になっていた未紀が運転するポルシェが大型トラックに衝突。原因は未紀のスピードの出しすぎと前方不注意。同乗していた母親は即死し、未紀もまた頭を打って、重症を負うのです。命は取り止めたものの、一時は言葉も喋れず、体も動かせないほど、破壊されてしまった未紀。次第に回復して行ったものの、後遺症として器質性のアムネジア(健忘症)になって、過去の記憶を一部なくしてしまいました。
別人のようになってしまった未紀に、Kは自分はあなたの婚約者だ、と言って近づきます。これはあながち嘘ではありません。何故なら、未紀はKに電話ごしに「私と結婚して」と言ったことがあったから。未紀は記憶を取り戻さないままで、退院します。そして、自宅で自分の手による手記を見つけた彼女は、一番身近な存在であるKにそのノートを送りつけるのです。

ノートの中の未紀は自分の倍以上の年齢の男性と関係を持っているらしい。
彼女が"パパ"と呼んでいる男性は虎の門で開業しているダンディスト。この中年歯科医と自分の母操が昔恋愛関係にあったことを知っていた未紀はその歯科医院へと赴く。その歯科医は彼女が昔の恋人の娘だと気づかないままに、なんと、その場で未紀を誘惑。
するとパパは不安定な姿勢でよろめいたあたしのうしろに立っていて、すばやくあたしをささえてくれました。両わきの下から腕をさしいれあたしの胸の二つのふくらみをぴったりと掌におさめるようにして。痴漢!と叫ぶかわりに、なぜかあたしは鏡のなかのパパにむかってにっこりしてしまいました。なんともこっけいなことに、これでもあたしはパパを誘惑しているつもりでした。
「きみは植物みたいな子だね。」
あたしは恥ずかしさのあまり身悶えしました。熱い樹液のようなものが脚から胴へ、それからパパに捕らえられている果実の先端にまで、はげしい勢でのぼってくるのを感じながら、あたしは首を反らせ、パパの顎の下に頭をもたせかけていました。パパハアタシノ胸ガマダカタクテ樹ノ幹ミタイダトイウノカシラ?

自信満々で自惚れたっぷりのこの男を腹立たしく思うと同時に本能的に惹かれる未紀。「この人が本当にパパだったら。」とさえ望んでしいます。
二人の秘められた関係をエロティックに綴る一方で、未紀は母親に対して冷感症だの、人も動物も愛せない人間だ、と斬り捨てています。パパと関係ともつようになったのも、母親への復讐じみた思いがなくはありません。
家族は両親と未紀の3人家族で、父は**工業の社長。田舎丸出しの成り上がりの金持ちで、母が彼を愛して結婚したとは思えない。

有閑マダムな母は、道楽半分でざくろくるみという二店の喫茶店を経営。予想外にもうかかったため、翌年にはモンクという新しいお店ができました。
このモンクは未紀が好きなようにプロデュースしたお店であり、彼女のお城でした。

....店内は中世の修道院風に、暗く陰惨に装飾しました。壁にはブリューゲル、ヒーロ二ムス・ボス、ポール・デルヴォー、パルテュス、チャペラ、サルヴァドール・ダリなどの複製画をかかげ、死神のもつ錆びた大鎌、一時間ごとに死刑執行人があらわれて囚人の首を斬りおとす仕掛のまがましい時計、各種の鞭、いばらの冠などを吊しました。できることなら鉄の処女をはじめとする中世の拷問具を取りそろえたかったのですけれど。さて、カウンターのうえには魔女が使うという大きな水晶の球(もっともこれはガラスでつくらせた模造品です)をすえ、その向こうに髪の長い妖しい女が二人、ときには焚刑をうける魔女のように、ときには何匹もの悪魔が体内に棲みついている尼僧のように、ものも言わず狂気の目をこらしてコーヒーをいれている。そして彼女たちはたがいにレズビアンの仲であるようにみえる....(中略)
いつからか男と女の恋人同士はほとんどこなくなり、二人づれはたいがい男同士か女同士、ときにはひとりでやってきた男がほかの男とみつめあい、店をでるときにはなにげなくいっしょになったりすることもしばしば。女同士もおなじこと。あたしは店の奥にあるあたし専用の席に座り、夜が終るまで、ランプの光の下でサド侯爵の大悪書をひろげていました。

妖しげなカフェを経営したり、映画館で出会った美少女Mを誘惑し、同性愛的な関係を持ったこと、学校へ通う意義が見出せなくなったので、フランス語と英語の個人教師、大学教授から数学の個人指導を受けることを条件に退学したことなどか綿々と綴られています。ちなみにフランス語の教師は仏人大学教授のお嬢さんでミレーヌというマドモアゼル。そして、未紀が、愛人関係にあったパパをホテルに置き去りにし、友人Kに電話で結婚を申し込むところで終っています。

退院後、未紀の家を訪れたK。大邸宅である未紀の家には年配でずけずけものを言うばあやとその子供が住んでいました。そして未紀の父親。彼は60過ぎで、半年前に脳溢血で倒れて以来、廃人同様になってしまったのだといいます。
赤裸々過ぎる過去の自分の独白に混乱している未紀。これは本当にあったことなのだろうか?それとも自分の妄想だったのだろうか?そして、パパとは一体誰?なぜ、彼は自分の前に現れてくれないのだろう?
「いなくなってしまった未紀のことは忘れてしまってもいいんじゃないかな?」と、Kは言います。
でも、未紀はこのノートの中身を逐一暗記してしまい、すでに自分の一部となり始めている。「私のパパはどこにいるの?」
そしてKもまた、過去に秘密を抱えて生きていたのでした。
貧乏な家に生まれ育ったKには3つ年上の姉、Lがいました。母親は下宿屋をして生計をたてており、その時、Kは高校2年生、Lは19歳のOLでした。二人はあることをきっかけに近親相姦の関係に堕ちてしまう。KがLを抱いた時、彼女に「愛シテイル」と言ったがために、LはKに対して唖のように一言も口をきかないようになってしまいます。それでも、しばらく体の関係は続いていましたが、Lはある日突然、家から姿を消してしまいます。それ以来、姉には会っていない、と打ち明けるKに対し、未紀は言ったのです。
「あなたのお姉さまなら、いま、モンクにいらっしゃるわ。」
K、オ姉サマ二、オ会イ二ナッテ。私モパパ二会ッテミマスカラ。

どうして、Lがモンクで働くことになったのか?
未紀に言わせると、それはまったくの偶然。モンクに女流作家のY・Kが来たことで、未紀はその作家と知り合いになったが、モンクを管理してくれる人が欲しくなった時に、Y・Kは自分の知り合いのLを紹介してくれたのだという。実は、この作家Y・Kは、Kの家で下宿していた時期があって、LとKの関係も知っていたのです。そして、Kが街で作家と偶然に再会した時に、彼女は、モンクに行かないか、と誘ったのです。今、思うと、作家は自分とLを鉢合わせさせようと企んだのかも知れない。それにしたって、記憶喪失状態のはずの未紀が、なんでモンクで働いているのはKの姉だと悟ったのか?ひょっとしたら、未紀は少しずつ記憶を取り戻し始めたのかも知れない。

未紀の父親の容体が悪くなり、未紀は父に付き添うために、Kと音信不通になります。その間、Kは未紀の親友Mと会うことになるのです。
かつての美少女はすっかり俗っぽくなり、それが未紀を落胆させたことが彼女の日記にも書かれています。Mなら、未紀のパパについて何か知ってるかもしれないと期待するK。
「未紀が歯医者さんとお付き合いしていたことは知ってるけど、その方に会ったことはないわ。45歳でアルファ・ロメオに乗っている方だったそうよ。」
「未紀って、結局、自分の父親みたいな人が好みなのかも知れないわ。未紀のパパって、それは素敵な人よ。癌で、もう明日にも息を引き取るみたいだけど。」
「ちょっと待ってくれ。脳溢血じゃなかったのか?」
「癌よ。脳溢血って年じゃないわ。確か、まだ四十四、五よ。それにぶくぶく太った高血圧、というタイプでもなく、とても若くみえる人よ。ハードボイルドな感じのスポーツマンね。ゴルフもお上手だったけど、ヨットが好きで、どこかの選手もやってたらしいわよ。」
「それは、まるきり、パパじゃないか!」

それから、数日後、未紀の父親が息を引き取り、Kは彼女に会うべく家を訪れます。
そこでKは、ばあやの独り言を聞いてしまうのです。
未紀の父親は膀胱癌で死んだのだった!
罰ガアタッタンダヨ、アイツハ、サンザンワルイコトヲシテキタカラナ、マッタク、アレハ自業自得トイウモンダヨ、自分の娘ト、畜生ミタイナコトヲシテ....

この小説は2本の柱でできています。
その1本は言うまでもなく、未紀のノート。彼女は記憶を失ったあとも、Kのすすめで、手記を書き、後半で登場する新しい手記によって、すべての謎が明らかにされるのです。
もう一本の柱は、"ぼく"という二人称で綴られるKの語り。未紀のノートが断片的なものに対し、これはこの小説の本文になっていて、"ヘンリー・ミラー風の口調でしゃべる"Kによって、物語は進行していくのです。
もう一人の主人公であるKは、過激な問題行動で高校を追われ、学生運動に暴走するほどのアナーキスト。また、Lや作家との肉体関係など、本筋をそれてサイドストーリーが展開して行きます。こうして書くと、非常に錯綜した、煩雑なイメージを持たれますが、どのエピソードも吸引力があって、この作品の魅力を倍加しているのです。正直、未紀とパパのお話だけでは、砂糖菓子みたいに陳腐なお話になりそうなところを、荒唐無稽なKの存在が、小説全体をギュッと引き締め、甘美になり過ぎない効果を与えていると思います。
また、エスキモーとあだ名されるKの友人が登場するのですが、この彼が、女のように盛り上がった胸にもじゃもじゃの胸毛が生えている高校生で、生肉を喰らうのが好きな強烈キャラ。昼休みになると近所の肉屋へ牛の肩肉を買いに行き、ある日、女子生徒が持ってきた兎をその場で解剖し、生暖かい内蔵を口の中に放り込む、というエピソードがあります。こんなふうに、甘美とグロテスクが混在するのも倉橋作品の特徴の一つでしょう。

これ、少女小説の古典的名作だと思います。
デコラティブで絢爛たる筆致、ミステリアスでカメレオンのように変化する未紀の世界は、女の子であれば一発で魅了されてしまうのではないでしょうか。未紀が自分のことを"あたし"と言っているのも、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』(渋澤龍彦訳)で女主人公が"あたし"と言ってるのを思わせます。
私は高校生の時にこれを読んだのですが、冒頭から引き込まれてしまい、その日のうちに読んでしまいました。
で、あれから**年経った今、再び、この本を読んだのですが、かなりおフランスかぶれな印象を受けました。例えば、事故前はロングヘアだったヒロインが手術後、少年のような頭になって、ジーン・セバーグ風と描写されたり、作中の中で未紀が観に行く映画がルイ・マルの「恋人たち」だったり、ジェラール・フィリップやジャンポール・ベルモンドなどフランスの俳優の名が飛び出したり、通学鞄の中に「マドモアゼルOの物語」が忍ばせたりあったり、フランス好きなら、ニヤリとさせられる箇所が多いです。
こんな傑作をアメリー・ノートン女史にお見せできないのが残念でなりません。

『聖少女』は廃刊になっており、現在、新書で入手することができません。
しかし、古本、電子書籍として購入することができます。

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倉橋由美子は高校時代、夢中になって読み漁った作家なので、これを機会に彼女のその他の作品についても紹介したいと思ったのですが、「聖少女」のレビューが長くなってしまいました。
倉橋さんについては日を改めて、また、ゆっくり語りたいと思いますので、もう一度お付き合いくださいませ。

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by marikzio | 2007-03-18 17:13 | Book | Comments(4)
Commented by ジャンヌ at 2007-03-19 01:06 x
始めまして。 時々読ませていただいております。倉橋由美子の「聖少女」。なつかしくって思わ青春時代を思い出しました。彼女と金井美恵子は私の大好きな作家です。2人の作品はすでに絶版になってるのが多くって残念ですね。学生時代倉橋由美子をかなり読み耽っていたときがありました。これからも楽しみにしております。
Commented by marikzio at 2007-03-19 13:43
はじめまして、ジャンヌさん。ステキなハンドルネームですね。
私の拙いblogを読んでいただきありがとうございます。
自分、金井恵美子は知らなかったのですが、検索したら、なかなか興味深い世界をもってらっしゃるみたいなので、今度チェックしてみます。

倉橋由美子は数年前に他界されたみたいですね。
学生時代、あれほど夢中になって読んだのに、いつのまにか遠ざかってしまいました。彼女のドロドロした世界って、思春期の感性にピタッとはまるのかも知れません。まさに、青春時代の思い出、ってやつですね。

ジャンヌさんは、ドイツに長くお住まいなんですね。ドイツはフランスに恋する前は、ちょっと憧れました。私から見れば、ドイツもフランスも陸続きなので、うらやましいです。
また、遊びに来てください。
Commented by しゃるろっと at 2007-03-23 03:00 x
もしかして、わたしがらんぼーさんのブログのコメント欄で「渋さん」と間違ったのは、倉橋女史のことでしたかー!? 失礼しました☆

わたしも「聖少女」は高校時代に読んで夢中になりました。当時は作中に出てくるフランスの人物や映画にはまったく無知だったのですが、後になってから、なるほど~って世界ですね。ある意味、少女時代の「おフランスの扉」とも言えますね。

倉橋さん記事、楽しみにさせていただきます!
Commented by marikzio at 2007-03-23 16:17
しゃるろっとさん
倉橋女史も渋さんやジャン・ジュネに影響を受けていたと思いますので、全然失礼じゃないですよ。
しゃるろっとさんも、高校時代に「聖少女」を読まれてたのですね。自分も当時、外国といえば英米だったので、おフランス的な物には無反応でしたが、あの世界観は衝撃的でした。確かに入り口だったかも。
最近、My SPACEやmixiの新規参入でブログが散漫になってましたが、そろそろ書きますので、お楽しみに。
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