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「午後四時の男」   アメリー・ノートン   柴田都志子 訳
このブログですっかり定番になった感のあるノートン、4作目にあたる作品です。
原題は「Les Catilinaires」。前1世紀ローマの雄弁家キケロの有名な演説の冒頭部の一句から由来しているそうですが、一般の日本人にはあまり馴染がないので、この邦題にしたそうです。

主人公は定年退職したばかりの元高校教師、エミール。43年間、共に結婚生活を続けて来た妻のジュリエットは小学校からの幼なじみで、子どもはいませんでしたが、ともに65歳を迎えています。
都会で生まれ育った彼らにとって、人里離れた田舎で静かに暮らすことは、ずっと以前から望んでいたことでした。自然が好きだから、というのではなく、とにかく世間と没交渉でいたい、人とのかかわりで煩わされず、世俗の営みから自由になりたい、という切実とも言える欲求からだったのです。

二人は理想的だと思われる物件にすぐ出会います。
この「家」こそが、自分たちが探し求めていたものだ。自然に囲まれているが、4キロ先に村があって、そこから日用品や食料品を調達することができる。ご近所と言えば、小川の向こうに隠れて見えないような家が一軒あるだけ。その家にはお医者さんが住んでいると言う。
まさに願ってもない別天地!子どもの頃から思い描いていたような情景がそのままにあり、唯一のお隣さんは医師で、これから隠遁生活に入ろうという夫婦にとって、それは心強い背景になるはずでした。

夫婦は胸いっぱいの期待で新しい生活をスタートさせますが、「家」に引っ越してから1週間たった日の午後4時、ドアを叩く者がいました。
小川の向こうの家に住む、ベルナルダン医師。わざわざ向こうから挨拶に来てくれた訪問客をエミールとジュリエットは「家」の中へ招き入れます。
しかし、このベルナルダン氏、どうも様子がおかしいのです。肘掛け椅子にどかっと座ったまま、ほとんど何も喋らないのです。
エミールが向けた質問に対して、反応がかえって来るのに、十数秒。しかも、「ええ」や「いや」と答えるだけで、とても会話が続きません。
しかも、いかにも不愉快そうな表情で、「嫌々ながらここにいる」と言った風情。相手が発語しないので、こちらが沈黙していると、「自分を無視して何も喋らないなんて、失礼な」と医師に無言で責められているような気がして、その重く淀んだ空白に耐えられず、エミールは何とか間をもたせようと必死に話題を探します。
医師はこの家でたっぷり2時間過ごした後、自分の家へ戻って行きました。重苦しい地獄のような会見を終え、二人は安堵のため息をもらします。
あまり楽しそうな感じではなかったので、もうここに来ることはあるまい、と思っていたのに、翌日の午後4時、ご近所医師はまたやって来ました。次の日も、その次の日も...。

午後4時きっかりに、ドアを叩いては6時まで時間たっぷり居座る、ぶよぶよした脂肪のかたまりのような男。無口で、夫婦の問いに対して余計な事は言わず、質問によってはいかにもムッとした顔をしたりして、常識では考えられないぐらい社会性が欠如しています。
この人はほんとに医者なのか?
それでも、彼は心臓の専門医であり、この村で小さな総合病院を経営しており、奥さんがいて子どもはいない、という情報だけは得ることができました。
これまでに経験したことのない、窮地に立たされた二人は4時前に散歩に出かけたり、居留守を決め込んだりします。
すると、なんとこの男、ドアが壊れそうなぐらい強い力でドンドンと執拗に叩きつけるのです。
その恐ろしさに負けて、ドアを開けてしまうエミール。その日は妻が体調を崩し、「2階で休んでいるので、あなたの相手はできない」と訴えたにもかかわらず、「コーヒーをもらえないかね」と医師はずかずか人の家にあがり込みます。その上、ジュリエットが休んでいる2階の寝室にまで押しかけて来て、「自分を居間にほったらかしにして」と怒り、エミールにカップを突き出し、「お茶が冷めてしまった。いれ直してくれ」と要求までするのです。

夫婦は医師に「奥さんと一緒に夕食を」と提案します。
医師は自分の妻を連れてくることに難色を示しますが、二人の説得に負けてついに承諾します。
次の日、医師は奥さんを連れて現れました。
ベルナルダン氏よりさらに体が大きく、肉の塊のような怪物としか言いようのないベルナルダン夫人。顔には鼻がなく、漠然と穴らしきものが開いている個所が鼻孔の代わりをしている、といった風情。目はただの小さな裂け目の中に眼球らしいものが埋まっている、口はタコのようで、夫に向かって話す時、ゲップのような音を出すが、他人にとっては何を言っているのか理解不能、という旦那をはるかに上回る強烈キャラぶりです。この医師は障害者を妻に娶ったらしい。

毎日のように家に押しかけては、2時間しっかり居座る無礼な男をエミールは何故か追い返すことができません。
本来、育ちがいいうえに、他人に対して露骨な態度をとってはならない、という社会的なマナーが体に染み込んでしまっている彼は、結局、この「午後4時の男」を受け入れてしまうのです。
しかし、あることをきっかけに、この男に対する怒りが増幅され、頂点に達していたエミールはいつものようにドアの前に立っていたこの大男に対し、感情を爆発させます。
「出てけ、この迷惑野郎!そんな面なんか二度と見たくもない!」
怒りのパワーにまかせて、この図体のでかい男を突き飛ばし、平手打ちのようにドアを荒々しく閉めてしまいました。
「こんなに簡単なことだったのか!」
男の訪問はこの日を境にあっさりと途絶えてしまいました。
そして、ここに引っ越しした当時のように、何者にも邪魔されない平和な日々が二人に戻って来たのです。

ベルナルダン医師が家に来なくなってからしばらくして、夜中に目覚めたエミールは外から不審な物音を聞きつけます。
真夜中、家の外に出た彼は、その騒音が小川の向こうの医師の家から聞こえてくることを知りました。医師の家の前まで行ってみると、音はガレージがら発生しており、そのガレージの中で、なんと!医師が車のエンジンをかけっぱなしにして自殺を図っているところでした。
ガレージの窓ガラスを割り、医師を助けだし、レスキュー隊を呼ぶエミール。
医師の家ではあの巨体で障害者の奥さんが眠っているはずであり、彼女の無事を確認するべく、こわごわ医師宅に侵入することを決意します。
その中には想像を絶する光景がありました。
以前日本のバラエティー番組で頻繁に登場した"ゴミ御殿"さながらの描写が延々と続きます。腐った食材やゴミの山で埋め尽くされた空間、吐き気をもよおすような異臭...。
思わず笑ってしまうような展開です。

アメリー・ノートンの書くお話は一見、奇をてらっているようで、非常に古典的だと思います。
この本の中ではベルナルダン夫妻という、最強コンビが登場しますが、こういう逸脱したキャラクターは昔話や名作と言われる古典にもよく登場しているような気がします。
しかし、彼女の過激な想像力が小説を現実離れしたものにし、奇抜なストーリーとして読む者を惹きつけます。
豊富なボキャブラリー、難解な比喩のわりにあまり文学的価値が高いとは思えないのですが、さすがベストセラーの常習者、読ませるツボを心得ていると思います。
しかしながら、相変わらず、人物像の描き方とか、話の展開が強引で乱暴です。
本作でも、エミールが自殺未遂をした医師に向かって「私は間違いを犯した。君を助けるべきではなかった。君のそれはとてもまっとうな人の人生と呼べるものではない。早くこんな生活を終らせたかったんだよね。」と言い、最後には医師が最後を遂げる手助けをするのです。
人間の心の裏側を暴いた衝撃作!みたいな評論をされたりしてますが、なんかあんまりだなぁ、というのが私の感想。
別にベルナルダン医師に肩入れしている、とかそういうわけではないのですが、アメリー女史が誰かに向かって「アナタの人生ってサンサンたるものよね。こんなヒドイのってないわよ、そうよね。」勝手に決めつけてるみたいで、すとんと落ちないものを感じました。
まぁ、彼女の書く小説ってたいてい強引な展開に持っていくので、いつもこんな感じなのですが。
でも、彼女の本を見つけるとついつい読んでしまう。突拍子もない展開で退屈しないし、一日で読んでしまえるぐらいのボリュームです。(古典から引用している部分も多くて、翻訳者にとっては大変らしいのですが)
これってベストセラー作家のポイントですよね。
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by marikzio | 2005-08-25 14:47 | Book | Comments(0)

「幽閉」  アメリー・ノートン  傳田 温 訳
Bookカテゴリ第4弾は今度で登場3回目のアメリー・ノートン。
私の読書傾向、偏ってますね。ノートンしか読んでないわけではないのですが、ノートンの翻訳はまだ少ないので、つい飛びついてしまうのです。何とかお付き合いください。

「あの島で誰かが私を必要としている気がする。」
30歳の美しき看護婦、フランソワーズ・シャべーニュはヌー病院の院長に、孤島に住む老人、オメール・ロンクールの世話をしてくれないか、と持ちかけられます。
モルト=フロンチェール(死の境界?)という名前の小さな島、ヌー港から1日一往復しか船の出ない孤島に住む、その変わり者の老人は大金持ちで報酬はいくらでもはずむと言う。
すでに「看護婦は眼鏡をかけていてはならない」という条件をつけていましたが、フランソワーズはあっさりと引き受けてしまいます。理由は誰かがそこで自分を待っているような気がしたから。

ロンクールと対面した看護婦は「おまえがこれから世話をするのは私ではない。」と言われます。昔、船長をして世界中の海を渡ったという、その老人は実はもうすぐ23歳になろうとしている若い女性と暮らしていて、その彼女が病気になったというわけなのでした。
その女性は18歳の時に爆撃に遭い、両親を一瞬にして失いました。焼け野原で船長に発見され、彼にこの島まで連れてこられたのです。
その少女の名前はアゼル。爆撃で父と母を失い、その上、自分の美しい顔がめちゃめちゃになってしまったと船長に告げられた哀れな少女は我が呪われた運命に絶望し、人目を避けるべく、離れ小島で見ず知らずの老人とともに暮らすことになったのでした。

フランソワーズは船長に、「アゼルの顔を見て、びっくりしたような表情を絶対にしてはならない。」と禁じられます。そして、「事務的なこと以外の話、質問をしてはならない。もし、そこから外れるようなことをしたら、おまえも二度とこの島から出られなくしてやる。」という警告が課されました。

アゼルの顔を見て、激しい衝撃に襲われたフランソワーズ。努めて表情に出さないようにしたものの、アゼルにそれを見破られてしまいます。
しかし、アゼルはフランソワーズの到来を心から喜び、「ずっとここにいて。」と姉のように慕います。NY生まれで裕福な家庭に育った美少女、アゼル。両親とともに世界中を旅して、幸せだった子ども時代。ポーランド人の父親が事業に失敗し、母の故郷である、フランスにやって来ましたが、生活を建て直すことが出来ませんでした。

爆撃ですべてを失い、ロンクール船長とともにやって来たこの島での生活は牢獄そのものでした。屋敷の窓はすべて自分の身長より遥かに高い位置にあり、お湯を貼るためのバスタブもありません。水を飲むコップは全てやすりで傷をつけられ、光沢がありません。これは、アゼルの顔がガラスや水に映ることがないようにするため。ロンクールが最初、「看護婦は眼鏡をかけていないこと」を条件にあげたのも眼鏡のレンズに顔が映るからだったのです。
ロンクールとアゼルは50歳以上も年が離れていましたが、老人は一年前から、彼女のベッドに入ってくるようになっていました。おぞましい事このうえないが、こんなふた目と見られない顔の自分を保護してくれるロンクールがいるから、自分は生きていられるのだ、という思いでアゼルは老人を受け入れ続けてきました。
美しい看護婦と哀れな少女の間には友情が育まれていきました。フランソワーズはアゼルをこの牢獄から何とか救い出してやりたいと考えます。

実はロンクールは、20年前にも美しい少女をこの島に連れてきて、10 年間ここで幽閉していた、という事実が明らかになります。しかもその少女は海に自ら身を投げました。
その美女の名はアデル。みなしごだった彼女とロンクールはあるダンス・パーティで出会い、ロンクールは輝くばかりのアデルに一目で心を奪われます。ところが、その夜、突然火事になり、ロンクールはアデルの顔を上着で覆って燃えさかる会場から救出。その時、あなたの美しい顔は炎で焼けてしまったと、彼女に嘘をつき、島に連れてきたのです。
自分の顔が見れないような造りの屋敷はその時、作られました。家中の鏡という鏡は取り去られ、アデルが自分の顔を見せてくれと懇願しても、彼は絶対に鏡を覗かせることをさせませんでした。一度だけ、特別に作らせた鏡を彼女に見せました。その鏡は中に映るものが歪んで見えるように細工されていたので、この鏡を見たアデルは、すっかりロンクールの話を信じ込んでしまったのです。

このことを純真なアゼルは知らない。
アゼルは老人に愛されているとばかり思っているけれど、過去に自分と全く同じ状況だった人物がいて、彼女はその繰り返しでしかないことを知らない。
このことを教えてあげなくては。そして、もう一つの真実も...。
フランスワーズの企ては結局、ロンクールの知るところとなり、最初の警告どおり、彼女はこの孤島、モルト=フロンチェールから出られなくなってしまいました。
アゼル共々、この島に幽閉されてしまった美しき看護婦。果たして、二人の運命は...。

老人ロンクールに対する、フランソワーズの言葉は一貫して辛辣で、毒の効いた皮肉に満ちています。ここはノートンのデビュー作、「殺人者の健康法」の中でも若い女記者と謎に満ちた老作家が繰り広げる対話と一緒だと思いました。日本を舞台にした「畏れ慄いて」でも外人OLのアメリーと女上司のフブキが緊張感溢れる攻撃的なやりとりの場面がふんだんに出てきます。
どうやら、この作家は登場人物たちに好戦的な会話をさせるのがお好きなようです。

この本を読まれた方々の中に「これは恋愛小説である」という意見もありましたが、私はあまりそう思いません。作者自身が「こういう愛もあり、よね。そうでしょ。」と強引に引っ張っているような気がして、どうしても恋愛小説とは思えないのです。
自分は醜い、と思い込むアデルが「なんでこんな私を求めるの?」と老人に聞く場面があります。「おまえの美しい心が好きなんだ。」と嘘をつくロンクール。
「それじゃ、心だけで満足してもらいたい。」とアデルに言われ、傷つく醜い老人。本来ならば、決して自分のような者が物にできるような相手ではないのです。
そして、アゼルにも全く同じことを言われるのです。ここの所はとても印象に残りました。

途中で、思わぬ種明かしがあるのですが、それも、「あ、やっぱりそう来たんだ。」という感じがして、意外性はあまりなかったです。
この物語の結末は二通りあります。最初、あっさりしたハッピーエンドで、その後、「もう一つの結末として」、前者と全く違う内容が続いています。「どちらか好きな方を選んでくださいね。」、というインタラクティブ的なものではなくて、一見平和なラストに見せかけて「そんなハッピー・エンドで終わるわけないでしょ。」と、本当の終わり方をこんな形で示しているのだと思います。やはり、一筋縄でいかないアメリー女史です。
原題は「Mercure」。『神々の使者、マーキュリー』や『水銀』などの意味を含んでいるものの、日本語ではこれらを同時に表す言葉がないために、「幽閉」という邦題にしたそうです。
『水銀』もまたこの物語の中のキーワードの一つになっています。

アメリー・ノートンの翻訳された小説は読みやすく、一日で読めてしまう程度の長さなのですが、この小説の中には「パルムの僧院」や「吸血鬼カーミラ」など多くの文学作品が会話の中に登場しています。いづれも私は読んだことがありませんが、これらの作品がこの物語について何らかの暗示を与えているようです。「パルムの僧院」を読んだら、この小説がより面白くなるのかも知れません。
ノートンの小説は一見親しみやすいようでいて、いろんな古典から引用があったり、象徴的な描写があったり、よほどのインテリでないと理解できないようなところもあります。
しかしながら、marikzioのように何の知識も教養もなくても、自分なりに楽しんでいるのだから、小説の愉しみ方は本来、それでいいのかも知れません。(ただの言い訳? f^_^;)
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by marikzio | 2005-03-23 20:46 | Book | Comments(0)

「殺人者の健康法」 アメリー・ノートン  柴田都志子訳
Bookカテゴリ第2弾はまたもや「畏れ慄いて」のアメリー・ノートン。
日本の企業でドジなOLだったベルギー女性がフランスで25歳の時に発表した文壇デビュー作、それが「Hygiene de L'assassin」(殺人者の健康法)でした。

83歳である世界的な大作家プレテスタ・タシュ。難病に冒され、死期が迫っているという噂が流れ、世界中のジャーナリストから単独インタビューの申し込みが殺到します。
22作の小説を発表し、ノーベル文学賞を受賞した、この作家は、しかし、多くの謎に満ちていました。肥満しきった体躯、その体に毛も生えておらず、声を除けば去勢された男の全てを備えていたという彼の異様な風貌。近代的なビルの1室に一人で暮らし、一日に二十本ものハバナ葉巻を吸い、朝から晩まで飽食に明け暮れていたおかげで、もう何年も前から歩行困難になっているような状態。そして、彼の書き溜められた作品は出版され続けているも、実は59歳の時に筆を折っていたのでした。

タシュに取材することを許されたのは一部の選ばれた記者たちでした。
しかし、その栄えある会見も当事者にとっては震え上がるようなおぞましい時間にしかなりませんでした。車椅子に座った、怪物のような巨体。食べ物に異常な執着心を示し、次々と浴びせる辛辣でグロテスクな毒舌の数々。記者は次第に気がおかしくなるような恐怖と吐き気を覚え、ほうほうのていで逃げ出します。
作家の前に次々と野心と緊張感を持った取材者がやってくるのですが、強引に論破され、あるいは途中からいきなり追い出されるなどして彼の前を無残に退散して行くことになるのです。

ある日、一人のマドモアゼルがやって来ました。他のジャーナリストと同じ権利を認められて彼のもとへ参上した若手記者。彼女は老作家の毒舌に微動だにせず、それどころか互角に激しい舌戦を繰り広げます。
タシュの発表作品を全部読んでいた、この女性記者は彼の未完の小説の謎に言及し、そこから「自分は童貞だ」と公言しているこの老作家の隠された秘密を徐々に炙り出して行くことになるのですが...。

対話形式で展開されていくサスペンス。それにしても何というボキャブラリー。強烈な毒を含んだ台詞が洪水のように紡ぎ出されて、これを25歳にして書き上げたとは圧巻です。当時のフランス文学界に激震が走ったというのもまさに納得。
しかし、最初の迫力満点な緊迫感にしては肝心の作家の秘密のエピソードがいかにもありがち、というかありきたりな感じもしました。大人になることを拒んだ歪んだ性愛。帯のコピーにある「一度読んだら忘れられない怖い話」というのはちょっと大げさな気がしなくもない。
されど、おそるべし、ノートン。ベストセラー作家としてのオーラはこの時すでに確立されていたのです。
ちなみに、この作品は戯曲化され、上演されています。
日本では翻訳されている作品が少ないけれど、彼女には多くの著書があり、新作が出るたびにベストセラーになっています。

以前このブログでも取り上げた歌手RoBERTをヒロインのモデルにした「Robert des nom propres 」、私、原著を持っています。日本語版は出ていません。
仏辞書プチ・ロワイヤルを片手に何とか読んでみようと挑戦したのですが、長らくほったらかしになっています。
ヒロインの母親は19才で妊娠し、父親になるはずだった男性と生まれてくる子どもの名前のつけ方を巡って口論になり、それがきっかけで夫を銃殺してしまう。そして自分も刑務所の中で出産した後、シーツで首つり自殺を図ります。取り残された赤ん坊は姉夫婦に引き取られ、バレリーナを目指すよう養育されるが...と、こんな内容だったように思います。
あのロベールにそんな壮絶な出生の秘密があったかどうかはわかりませんが、かなり目茶苦茶な内容のような気がします。(汗)
日本語訳出ないかなぁ。出ないでしょうねぇ。
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by marikzio | 2005-01-27 23:22 | Book | Comments(0)

-Stupeur et Tremblements- by Alain Corneau
b0069502_10275585.jpg「畏れ慄いて」アメリー・ノートン著 藤田真利子訳は2003年にフランスで映画化されています。原作をすでに読んでいる私は謎の国ニッポンでOLをしたベルギー女性の遭遇した世界がどのように映像化されているのか気になりました。
監督はベテランのAlain Corneau。ヒロインのアメリー役にSylvie Testud。そして、アメリーの直属の女上司にKaori Tsuji。映画の内容は原作にほとんど忠実に作られていました。30過ぎのSylvieは20代だった頃のアメリー・ノートン本人に雰囲気がとてもよく似せられていました。さすが女優、役作りに成功しています。日本語の発音も上手でした。

私は原作を読んでいる間、フブキを川原亜矢子の顔で読んでいましたが、実際にキャスティングされたツジイ・カオリさんもなかなかのハマり役でした。「あなたは知的障害者なんだから、最初からそう言ってくれればいいのにね!」と言う過激な台詞もサマになっています。なんと言ってもこの映画の見所は辛辣で情け容赦ないフブキとそれに立ち向かうアメリーの緊迫した絡み。演技に多少硬さはあるものの、女の怖さ、陰険さ、そして美しさをちゃんと表現していました。フブキ役のツジイさんはモデルとしてデビュー後、フランスでも活躍されている方だそうです。DVDのボーナス映像の中のインタビューでは流暢なフランス語を話していました。

アメリーを除いて登場人物がすべて日本人ですが、その中で一際キャラクターの濃い配役2人がいました。事あるごとに「アメリさんっ!!」と怒鳴る、体の小さなサイトー部長と、120キロくらいはあるんじゃないかと思えるぐらいの巨漢で威張りちらしてばかりいるオーモチ副社長。いったいどこからこんなキャストを調達してきたんだろう?と思うぐらい二人の個性は強烈でした。
サイトー部長に日本の俳優のスワ・タロウ。映画の中では悪い人ではないけど嫌みったらしく、背が低くていかにも冴えないおぢさんでしたが、インタビューを受ける彼はお洒落で笑顔のチャーミングな人。若い頃はイヴ・モンタンに憧れていましたが、まさか自分がフランスの映画監督の下で映画を作ることになるとは思わなかったそうです。他の出演作も観てみたいと思いました。
オーモチ副社長にバイソン・カタヤマ。実はベテランのドラマー。若い頃は体が大きいうえにボディビルで体を鍛えていたため、人に「動物園にいるバイソンに似てる」と言われ、見に行ったらまさにその通りだと思い「バイソン」を自分の芸名にしたとか。映画の中では怪物みたいでしたが、インタビューを受けるカタヤマ氏も感じがよくて優しい笑顔の人でした。若かりし頃は「マッスル王者」だったんでしょうけれども、今はすっかり太ってしまったそうです。

映画撮影の中でのエピソードとして、会社の社長室として、金屏風に高価そうな骨董品が置いてある部屋が準備されたそうですが、社長役の俳優さんが、「このような社長室は日本の会社ではありえない。これはヤクザの部屋だ」と申し立てたそうです。美術スタッフともめることになりましたが、「これは違うんだ」ということを何とかわかってもらおうとしました。ここでも、『外国人による間違ったニッポンのイメージ』を伺うことができて興味深かったです。
また、この「Stupeur et Tremblements」のDVDにはボーナス・トラックとして、短編映画「Yamamoto San」が収録されています。日本人観光客のヤマモトさんが、フランス旅行中、ツアー団体からはぐれるお話なのですが、ヘンテコな人物のように描かれていて、「やっぱ、これが外国人からみた日本人のイメージなのかしらん」とちょっと複雑な気分に。そのうちブログで取り上げたいと思います。

「Stupeur et Tremblements」の公式サイトここで予告編を見ることができます。
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by marikzio | 2004-12-14 22:07 | Movie | Comments(0)

「畏れ慄いて」  アメリー・ノートン  藤田真利子訳
さて、記念すべきmarikzioブログの第1弾はフランスの人気作家、アメリー・ノートン Amelie Notomb の小説「畏れ慄いて Stupeur et tremblements」を読んだ感想を述べたいと思います。
フランス語の特殊文字が文字化けするといけないので、ここでは無難に英語表記を使うことにします。
「ハネダ氏はオーモチ氏の上司で、オーモチ氏はサイトー氏の上司で、サイトー氏はモリさんの上司で、モリさんは私の上司だった。そして私は誰の上司でもなかった」
という書き出しで始まる物語のヒロインは日本で生まれ幼少期を過ごしたベルギー女性アメリー。日本のカイシャで働くことを夢見て日本語を習得し、その語学力を買われて世界でも指折りの日本の大企業、ユミモト商事に就職します。
ところが、そんな彼女を待っていたのは病んでいるとも言うべき歪んだ日本のカイシャの構造でした。
外部者の前では日本語を使うことを禁じられ、書類のコピー取りを何度もやり直され、お茶くみ以外にこれと言った仕事も与えられず、自分は一体何のために就職したのかと途方に暮れてしまいます。
アメリーの直属の上司、森 吹雪はすらりと優雅な長身の女性で、まるで「谷崎 順一郎が描写したかのような」美しい顔立ちにアメリーは見とれてしまいます。フブキはアメリーに優しく接し、偏屈者だらけのこの職場で唯一信頼できる存在だと思うのでした。
ところが、アメリーにまたとない大きなチャンスが巡って来ようとした時に、彼女にとって一番身近で友好的であったはずの女上司の態度が一変します。フブキはアメリーの好機を潰したばかりか、サディスティックなまでに辛辣な言葉を浴びせ続けるようになります。日本のカイシャという閉鎖的な空間で様々な憂き目にあいながらも、健気に向き合うアメリー。しかし、女上司の理不尽ぶりはますます加速して・・・。
神戸に生まれ、5歳まで日本で暮らしたというノトン本人が22歳の時に日本の企業でOLをしたという体験をもとに書かれたということですが、これを読んで私は少し現実離れして展開が乱暴な感じを受けました。この小説は本国フランスでベストセラーになり、フランス人が「オー、ニホンの国って、なんてコワイ所ね。ブルブル!」なんて思い込むことが容易に想像できて複雑な思いになります。
しかし、妙にリアリティーがあるのです。「これほど極端なことはないけど、これと似たような思いはしたことがある。ブラックホールに放り込まれたような、心細いあの感じ。」事実を描いてはいないが、真実を描いているような・・・。

この小説の時代設定は、1990年。バブルが崩壊し始めた頃で、男女平等のスローガンが掲げられていても、まだまだ男性優位の世界。お茶くみ係に甘んじているぶんには楽だけれど、女がある程度のポストに就くには大変な努力を要求された時代。肩ひじを張ってなければやっていけなかったのです。そうフブキのように。
私はまだその当時学生だったので、よけい内容に無理があるように感じていたのですが、14年前の日本社会はこれに近かったのかも知れません。
私はアメリーが高層ビルの窓際に立って空想の中で空中に身投げする描写が好きです。

実はこの作品はフランスで映画化されています。一般公開されていたのかはわかりませんが、日本でも2003年のフランス映画祭で上映されています。その時はもちろん見ていませんが、結局amazon.frから個人輸入してしまいました。だって、西洋人であるヒロイン以外の登場人物は全員日本人(しかもほとんどが悪者)の世界がどのように映像化されてるか気になったんですもの。
フランス映画なので、ヒロインの独白部分はもちろんフランス語だけれど、それ以外は日本語が飛び交っています。フランス語はヒアリングできませんが(涙)、原作を読んでいるし、日本語会話が中心だったのでそれほど支障ありませんでした。フランス語が全くわからなくても充分楽しめると思います。

そのうち映像版「畏れ慄いて」についてコメントしたいと思います。

と、言うわけで今日はこのへんで。
へば〜!
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by marikzio | 2004-11-21 20:59 | Book | Comments(2)


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