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Le clip "L'Amour n'est rien..."
我らがMylene Farmerの新シングル、"L'Amour n'est rien..."(愛は無用)が発売になり、ヴィデオ・クリップも3月29日にオンエア開始となりました。
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アルバムの中では地味な曲だと思ってたので、シングル化はちょっと意外に思ったのですが、この間のライブでも歌ってたので、今回のクリップはてっきり、ライブヴァージョンだと思ってました。
それはそれで、楽しみではあったんですが...、今度もまた、ミレーヌ様にヤラれてしまいました。

も〜、ビックリ!!!

コート姿で登場のミレーヌ。
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やっぱり、彼女は可愛いですね〜。
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ありゃ??? ちょっと....。
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うっわああああ...。
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嗚呼、なんてこと...。(/o\*)
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これ以上、ここではお見せできません。
「全編見たい!」という方は ここのページ に今すぐ直行!!!
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それにしても、スト**プティーズで来るとは、予想だにしませんでした。
今まで何回も"お色気地雷作戦"を仕掛けられて来たというのに、その度にまんまと度肝を抜かれてしまう私たち...。
それにしても45歳とは思えない美しさ。ミレーヌの努力と美意識の高さには頭が下がります。
若い小娘にゃ、まだまだ負けはせんって〜。

情報元
-N-さん の掲示板。
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by marikzio | 2006-03-30 19:50 | Mylene Farmer | Comments(2)

"MUSLIMS AND AMERICA"と"STRAIGHT/GAY"
究極的とも言えるテーマで実験的な30日間を綴る、モーガン・スパーロックの「30 DAYS」。
放送2回目のエピソードは「宗教的にも性的にも多数派に属する二人のアメリカ男性が異教徒や同性愛者の世界に飛び込んで、マイノリティ派の生活を体験する」という、個人的には一番興味のあった題材でした。

★★★「MUSLIMS AND AMERICA」(イスラム修業を30日間)★★★

b0069502_198789.jpgウェスト・ヴァージニア出身のデヴィット33歳。良き夫、父親である、という彼は教会には必ず行くという敬虔なクリスチャン。
そんな保守的な彼が、イスラム教徒の家庭で暮らして見ようと思ったのは、「自分の知らない世界を見てみたかったから!」
自分の信仰を脅かすことになるかも知れない実験に単純な好奇心で飛び込むなんて、ほんとに信仰の篤いキリスト者なんだろうか?とやや首を傾げたくなる気がしないでもないのですが、そんなことを言ってたら、番組が進行しません。
イスラム教徒とポーランド系が大多数を占める、ミシガン州はDeabornという町に向かうため、彼はイスラム教徒の格好をして、飛行機に乗り込むことに。
これまでに感じたことのない、無遠慮な視線の矢と念入りなボディチェックを受けるデヴィッド。「今まで何気なく飛行機に乗っていたのに、こんなふうに緊張したのは初めてだ。」

デヴィッドのホームスティ先はパキスタン系アメリカ人の家族の家。シャマエルは27歳で、デトロイトの病院勤務。生まれも大学もミシガン州。妻サディアは28歳で現在、法律学校の学生。ネイティブな英語を話し、教育もある中流のアメリカ人家庭。
しかし、午前5時に大音響のエキゾチックな歌声で起こされ、朝一番のお祈り。イスラム教徒は一日に5回、床に膝と頭をついてのお祈りがあって、その時間になると、街中に不思議な節回しの歌声が響きます。この歌が教会の鐘にあたるものなんだそうですが、一般的なアメリカ人にとっては、かなり異様な歌に聞こえます。街中いたるところに"ムスリム"(イスラム教でいう教会)があって、これはボーリング場とかを改装して作ったものなんだそうな。
しかし、一日に5回は礼拝を捧げるなんて、時間が勿体ない気がします。食肉も一般には口にできなくて、唯一食べられるのが神の祝福を受けた動物の肉(特別な流儀に従って屠殺された肉)、とか飲酒禁止、テレビは見ちゃダメなど制約されている事が多すぎです。その他にも結婚もしていない男女が同じ場所にいると悪魔が寄ってくるとか、いろんな意味でストイック。

しかし、デヴィッドにとって、最大の関門はお祈り。キリスト教徒である彼にとって、意味のわからない言葉で、得体の知れない神に向かって祈りを捧げることは非常に抵抗があったのです。
「ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もルーツは同じ神なんだ。どうして我々と一緒に祈りを捧げない。」と責められても彼のしがらみは根強く、どうしても跪くことができません。
しかし、アラビア語を学び始め、自分なりにイスラム社会に歩み寄ろうとするデヴィッド。『イスラム教徒と暮らすクリスチャン』として、ラジオ番組にも出演しますが、彼の不注意な発言がシャマエルの顰蹙を買うこととなり...。

「イスラム教徒の問題は今のアメリカにとって、最も旬なテーマなんだ。」と冒頭で語るスパーロック。
『旬なテーマ』だからと言って、こんなデリケートな問題を番組のネタにしちゃっていいんだろうか?と多少疑問にも思ったのですが、このエピソードは多くのイスラム教関係者たちから感謝されたそうです。番組は公平に製作されていたので、イスラム教徒に対する誤解や偏見を和らげてくれた、と好意的な反響。
途中、デヴィッドがシャマエルたちに、「テロをするのはイスラム教徒だ。キリスト教徒はイエスの名において、自爆したりなんかしない。」と猛然と喰いかかる場面があって、イスラム教徒側の悲しそうな顔が印象的でした。「そんなこと言っちゃいかんだろ?テロをするのは一部の人間なのに。」とハラハラしてしまいました。

★★★「STRAIGHT/GAY」(ゲイと一緒に30日間)★★★

b0069502_1985050.jpgライアンはスポーツ好きのキュートな24歳。農家の一人息子で、信心深い家庭に育った彼は『同性愛は罪だ。』と怖れさえ抱いています。なぜなら「聖書にそう書いてあるから。」
そんな超保守的なヘテロ男性がよりによって、ゲイの住民が大半を占めるサンフランシスコのCastro(どこもかしこもホモカップルだらけ!)で、これまたおゲイな男性宅で生活するなんて、なんでまた...。
ま、そんなこと言ってたら、番組が作れませんよね。

エドは38歳、マーケティング・エグゼクティヴ。
心優しき彼は、自分の家のウォークイン・クローゼットをライアンの寝室に改装し、シャンパンのボトルを開けて、青年を歓迎。
バスルームの壁には、ゲイの友人が描いてくれたという、裸の男性の大きな絵があって、それに圧倒されてしまうライアン。「ほんとに、こんな所で30日間も過ごせるんだろうか?」
早速、エドのゲイ仲間たちに呼ばれ、お披露目されるライアン。彼らの独特な雰囲気と会話は彼にとって、脅威以外の何者でもありません。今まで多数派に属し、悠々と暮らして来た彼がいまや逆転の立場に置かれ、バーではナンパ攻撃の標的にされるような、か弱き存在になってしまったのです。
短期間ながら、このカストロ地区の住民として、ライアンは職探しを始めます。チーズ専門店に職を見つけますが、店員もゲイならお客もゲイ。何とか職場に溶け込もうと、耳慣れないイタリア産のチーズの名前を必至に覚えるライアン。

「始めは皆、異性愛だったはずだ。」こう主張するライアン。「同性愛は後天的なものであり、堕落したものだ。」
彼はカストロにある教会の女性牧師に会うことになりますが、レズビアンである牧師に向かって「同性愛は絶対に罪だ。」と頑なに言い張るのに対し「あなたがそう言うのは聖書にあるからでしょ?じゃあ、もし、聖書に『異性愛は罪だ』と書かれていたら、異性愛を否定するの?聖書に書かれてあることを杓子定規に捉える必要はない。云々...。」みたいなやりとりがあって、なんでこの人は「同性愛は殺人や盗みと同じくらい罪だ」と言うような言い方をするんだろう?と疑問に思いました。例えば、子ども時代に嫌な思い出があったとかなら想像もできますが、そういうわけでもなさそうだし。
「自分の性的嗜好については6歳の頃から薄々感じていた。」と語る同居人のエド。「ある日、ゲイ・ビーチに行くことになって、ようやく自分にぴったりの場所を見つけたと感じたんだ♪」
ライアンはエドの実家に行ったりもしますが、家族が、同性愛者である彼を受けとめていて、とても深く愛しているのに驚きます。それからエドの親友であり、ゲイでもある人物が遊びに来たりして、少しずつ気持ちがほぐれて行き、調子づいたライアンはゲイ・バーで他の客に混じってシャツを脱いでしまいます。
「あれは軽率な行為だった」ライアンを諌めるエド。「シャツを脱ぐ行為は他の男たちを誘っているサインになり、同性愛者でもなく、抵抗すら感じている人間がするべきことじゃない。」彼の人間性が垣間見える言葉ですね。

最終的にライアンは『同性愛は罪だ』という概念が完全には払拭しきれなかったものの、優しいエドと親友同士になります。
「ほんとは"いかにも"って感じの、例えば女装しているような人物をあてがっても面白かったんだけど、いわゆる一般人とそれほど変わらない人と接して、ゲイも普通の人間なんだ、というスタンスで行くことになった。」とスパーロック。田舎育ちで視野の狭かった青年が、サンフランシスコという大都会に出て、いろんなライフスタイルを持っている人たちがいていいんだ、というふうに受け入れるようになって行く、というあらまし。
番組のお終いの方で、WOWOWのインタビューがあって、「日本よりアメリカの方がゲイに対して寛容だと思うのですが」という質問があって、「実はそんなことはない。アメリカには以外と古い考え方の人がいっぱいいて、偏見に満ちている。だから、こういうテーマで番組を作ろうと思った。」と答えていました。

私たちは映画やドラマの影響で「アメリカはあっけらかんとしてリベラル」なんていうイメージを持ち過ぎていたのかも知れません。アーミッシュも存在しているし、自分が思っているほど進歩的でも軽薄でもないアメリカ。
今どきの若い男性が「時代遅れでは?」というほどの固定観念にこだわっていたりして、これってやっぱり家庭教育の影響なのかなぁ、なんて考えながら見てました。
クリスチャンもヘテロ青年も最終的には、宗教やライフスタイルの壁を乗り越えて、異世界の住人とハグを交わす場面で終わります。マイノリティーに必要以上に肩入れせず、かつメジャー派とされていた人々にも結構ヘンなとこあるんだなぁ、と気づかされるような切り口が上手いと思いました。
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by marikzio | 2006-03-27 20:48 | Television | Comments(0)

わけもなくミレーヌ
追記(2006年3月26日)

ずっと放置していたHP Archive de marikzio に"Avant Que L'Ombre...Tour"のページを加えました。
もちろん、当ブログの過去記事と一緒ですが、写真もやや大きくなって、こっちよりかは迫力出てると思います。よろしかったら、ご覧ください。
"Quoi de neuf?"(更新情報)をクリックすると、そのままリンクできるようになっております。

ミレーヌのBercy 2006のステージ・デザイン、演出を担当した SYUFISH.com の公式サイトにミレーヌのリハーサル時の写真のページがあったのに、久しぶりに覗いてみたら、なくなっていました。
遠くて見えなかった舞台装置の模様とか質感とかも詳細に見ることができて、とても興味深かったのに、残念!
お気に入りの画像をお持ち帰りしてて良かった〜。
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このSTUFISHはローリングストーンズやロビー・ウィリアムズ、U2などのコンサートを手がけている他、MTV ShowsやNFL Superbowl など音楽やスポーツ関連のビッグ・イベントに関わっている会社なんですね〜。最近ではトリノ・オリンピック 2006。

しかし、なんで、ミレーヌのページが消されちゃってるんでしょう???
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by marikzio | 2006-03-25 10:14 | Mylene Farmer | Comments(2)

"MINIMUM WAGE" と "ANTI-AGING"
3月18日(土)から始まったモーガン・スパーロックの「30 DAYS」。
第1回目のエピソードは「MINIMUM WAGE(最低賃金で30日間)」と「ANTI-AGING(アンチエイジングを30日間)」。
記憶が新しいうちに、簡単な概要を書きたいと思います。
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★★★「MINIMUM WAGE」★★★
製作者のスパーロックと婚約者のアレックスが1時間5ドル15セントの法定最低賃金だけで30日間のサバイバル生活に挑戦。
住み心地のいいアパートを離れ、オハイオ州に向かった二人。健康保険や口座やクレジットカードを凍結し、手にしているのは最低賃金での7日分、というわずかな軍資金のみ。
まず部屋探しから始めますが、入居するには家賃の三ヶ月分の前金が必要と言われてしまいます。ようやく、前金は後払いで入居させてくれるアパートを見つけることができましたが、ベッドもなければ、カーペットもありません。しかも、その部屋でたくさんの蟻を発見。人間らしい生活をするためにせめて家具が欲しいと訴えるアレックス。

b0069502_2034942.jpg野菜料理研究家でもあるアレックス。ヘルシーフード指向の彼女としては不本意ながらもファースト・フード店での仕事に就きます。仕事場からアパートまでの交通費を節約するために、片道30分の道を歩いて通う毎日。
スパーロックは肉体労働の人材派遣会社に登録して、草刈りや塗装に悪戦苦闘。手首を痛めてしまい、保険がないので病院に行くお金がありません。アレックスは尿路感染症に罹ってしまうし、早くも大ピンチに見舞われる二人。最低賃金暮らしで何の生活保障もない彼らは30日間を乗り切ることができるでしょうか....?

オハイオ州にはリサイクル家具をただで譲ってくれるフリー・ショップ(教会で運営)があって、そこでテーブルやベッドなどを入手。これは環境保護にもつながってとても合理的なサービスだと思いました。
あと、経済的事情で医療を受けられない方のために無料クリニックがあるのですが、医師の人数に対して、患者の数があまりに多すぎて、医療を受けられない人が大勢いました。症状の重い場合はエマージェンシーに駆け込んでいましたが、二人の医療費は思った以上に高くついて、最低賃金の収入だと払い終えるのに3ヶ月を要する、と言ってたような。

パンと豆類という質素な超食生活を過ごした二人ですが、最低賃金者の同僚のなかには妻や子どもを養っている同僚もいて、「彼らはどうやってやりくりしているんだろう?」とスパーロックは驚嘆しています。「僕らは二人で働いていても大変なのに」。
そこで、「子どもがいる場合を体験してみよう」ということで、兄の娘と息子を二人の部屋に招待。激安映画館に連れて行ったのはいいが、スパーロックがお菓子を買い過ぎてしまったために、アレックスが「無駄遣いよ」とマジギレする一コマも。

職業に卑賎はないものの、安心して病院にも行けないような生活保障のない暮らしは不公平過ぎる。最低賃金を上げるべきだとの主張もあるけれど、それによって会社経営が不安定になれば雇用が減るのだから、そっちの方が深刻だ、ということで貧困に喘ぐ低所得者の生活はいつまでたっても向上しない。
「これが経済大国アメリカの実情なんだ」とカメラに向かって語いかけるスパーロック。
45分間の小品ながら、空腹と寒さに凍え、体を張って製作している、という苦労が伝わってくる作品。
アレックスは超美人なのに、婚約者に付き合って体まで壊してしまって気の毒でした。ドキュメンタリー作家の彼女も楽じゃない!

★★★「ANTI-AGING」★★★
過去の栄光をもう一度。
このドキュメンタリーに登場する34歳の男性はセールスマン。中年にさしかかって、すっかり太ってしまい、体力の衰えすら感じている彼ですが、プールサイドにいるハイスクール時代の写真の彼は割れた筋肉が美しいナイスガイ。
「せめて大学時代の姿を取り戻したい」とばかりに彼はある行動を起こすこを決意。その決意とはホルモン注射と薬物と投与、専属トレーナーによるエクササイズを30日間続けて若返りを図るというもの。さて、彼は引き締まったお腹と逞しい胸筋を取り戻すことができるでしょうか...?
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体重の増加や頭髪が薄くなるのはは男性ホルモンの減退が原因。
医師は彼に成長ホルモンとテストステロンの投与、その他数々の薬物を処方し、その日からホルモン注射と薬づけの日々が始まります。
男性ホルモンで体重を減らし、若々しい容姿を取り戻すことができると断言する医師。彼自らもホルモン注射を続けてアンチエイジングしているという。
お医者さんがそこまで言うのなら、と男性は実験を受けることを承諾しますが、処方された薬は一日2回で41錠。分量を間違えないようにピルケースに仕分けしている場面がありますが、ほんとに大丈夫なのかなぁ???
しかも治療(?)のまえに「副作用として精子が作られなくなるおそれがある」ということで事前に採取し冷凍保存までしているのです。自分で「大丈夫だ」と言っておきながら。
彼の奥さん(かなり大きい、ダイエット必要)も登場して、「成功すれば自分も試してみようかしら?」なんてケラケラ笑っていたのですが、専属のトレーナーがスレンダー美人と知って、気が気じゃない様子。トレーニングに同席して、腕組みしている姿が殺気立ってて怖いです。
ジムのコーチが、これまたシュワちゃん(懐かしい!)みたいなマッスル男。ステロイド打ってるんじゃないの?と突っ込みたくなるぐらい不自然な筋肉。張り子みたいな腕と胸なのです。

そんなこんなで日々が過ぎて行きました。
体重も減り、体力もついてきて実験が順調に進んでいると思いきや、血液検査で肝機能に障害が起きていることが発覚。実験男性がマッチョコーチに薬を一日に40錠以上服用していることを打ち明けると、「毎日そんな大量の薬を投与していたら、肝機能に異常が出るのは当たり前だ」と呆れかえって言いました。

後半部分で私は少しウトウトしてしまったので、記憶が飛んでいるのですが、この実験は途中で打ち切りとなりました。精子が少なくなっているどころか、精液中の精子が死んでいたことが発覚して、実験者はあと一週間で実験終了にも関わらず、中止を申し立てしたのです。
「今まで治療を途中で放棄した人はいなかったのに...。残念だけど、仕方がない。」
実験者と別れの握手を交わす医師。どうやら彼は、自分の治療方針が間違っていない、安全なはずだと本気で信じているようです。こんな歴然とした結果が出ているのに...。
嫌だなぁ。お医者さまの言うことを受け入れるしかない患者側にとって、こういうマッドな医師の存在は不安を抱かせます。
自分の肉体が悲鳴を上げている今、こんな恐ろしい実験を続けているわけにはいきません。過去の自分を取り戻したいがために、今の自分や家族を犠牲にするなんてとんでもない。
奥様も美人トレーナーとのエクササイズがなくなってホッとしているようです。「私は今の太った主人も好きなの。」
実験は断念したものの、彼は10キロぐらい体重が落ちていました。顔もすっきりして、なかなかの男前になってたし。やはり男性ホルモンの投与の効果は大きいようです。失うものはもっと大きいようですが...。

最初、この実験はスパーロック本人がやろうと思っていたそうですが、兄弟やアレックスに激しく反対されたそうです。ハンバーガー生活で生命の危険にさらされたのに、これ以上、肝臓に負担をかけるわけにはいかない、と。
しかし、彼だったら、途中で投げ出さずに、最後までやっていたような気がします。結果的には同じようなものでしょうけれど。
アンチエイジング医療が盛んなアメリカ。いまやコラーゲン注射やシワ取り施術は、お化粧なみに当たり前なのかなぁ。このようなケースは極端ですが、手っ取り早く若さと美しさを手に入れる話なんてありえないんですよ〜という、お約束の結論。
自戒をこめて、ここで結びたいと思います。
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by marikzio | 2006-03-23 21:43 | Television | Comments(0)

レストラン  CLAUDE SAINLOUIS
2006年1月のパリ滞在最終日にランチしたレストランのことを書きたいと思います。

サンジェルマンにあるLouis Vuittonで"想定外"の買い物をしてアドレナリン全開だった私は、お手頃で美味しいプリフィックス・ランチが食べられると『パリノルール』で紹介されていたお店を探しに、ボン・マルシェ・デパート近くのDupin通りを目指しました。
しかし、スーパー方向音痴なmarikzioはその通りとお店を何故か見つけることができず、お腹も空いてしまって、結局「ええい、どこでもいいから入っちゃえ〜!!」という暴挙に出ることに。
"暴挙"と言っても、ここは超コンサバなサン・ジェルマン。入ったお店も構えはこぢんまりとしていましたが、中はかなり奥行きがあって、店の真ん中にピアノまであり、格式高そうな雰囲気でした。いかにも古くて、高級そうな内装。
ディナーだったら結構高いかもな〜。でも、ランチタイムだし、ニースでレストラン・デビューを果たしていたので、私は割とリラックスしていました。ベロアのジャケットと白いパンツで良かった。中にはジーンズ姿のお客さんもいたけど。
ここのお店の名前は CLAUDE SAINLOUIS。(RUE DU DRAGON 75 006 PARIS)

年配のムッシューにテーブルを案内され、私のコートと買い物袋を預かると彼は店の奥にいったん消えました。
わぉ、こんなの初めて!!!ニースのレストランではコートや荷物を預ける、ということがなかったから、ここは、しかるべきランクのお店なんだ。
メニューはやっぱり筆記体でわかりにくい。でも、頑張ってオーダーするぞ、と思ってたら、ムッシューがお魚のランチコース・メニューをすすめて来ました。まぁ、いいか、とばかりにアントレのスープ、メインの白身魚をオーダーしてしまいました。そして白のグラスワインを1杯。
待ってる間に周りを見回したら、厚みがあって湯気があがっていそうなステーキとか、小さめの片手鍋にお料理が入っているテーブルとか目に入って来て、もう少し吟味して頼めば良かったかな、と思いました。

最初に運ばれて来た、"POTAGE DU JOUR"。(今日のポタージュ)
ただのポタージュなのに、高級そうなお皿。とても上品で繊細なお味でした。
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続いて、メインの"POISSON DU JOUR"(今日のお魚)。
白身魚のホワイトクリームの煮込み。見た目が平凡だったので、写真は撮りませんでした。
スープ同様、上品な味付けでしたが、どこか物足りない。ああ、肉にすれば良かった、肉に。
でも、食べているうちに、お腹がいっぱいになって来て、見た目よりボリュームがあるようです。

デザートの"TARTE BOURDALOUE"(ブルダルー・タルト)
洋梨のタルト。チョコレート・ソースがやたら甘ったるかったです。
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お店の壁にはいろんな人の写真(外国人で身分の高そうな人)が飾ってあって、おそらく、ここに来た有名な方々の写真なのでしょう。お客の年齢層もそれなりに高く、落ち着いた雰囲気の方が多かったように思います。
年配の給仕やウェイトレスが忙しそうに、きびきびと動きまわっている中で、支配人らしきおじさんがピアノの近くで立っていました。ウェーブした髪の毛が肩に届きそうな長さまであって、ちょっと音楽家風。
フランス人って、一般的に働くのがあまり好きじゃなさそうな印象がありますが、レストランやカフェでは皆、そつなく動き回って、思わず見とれてしまいます。

こういう雰囲気のお店だったから、お会計の方はそれなりに覚悟していました。最終日だったし、カードで払うつもりだったので、そんなビビってもなかったんだけど、28ユーロ(4,000円相当)でした。
ランチ・メニューに関してはオーソドックス過ぎたので、もっと冒険しても良かったかな?

これで、今回のフランス旅行に関するネタは完全消化。
帰国から2ヶ月以上もたってしまいましたが、旅ネタばっかり続けて書くわけにもいかないので、脱線しながらやって来ました。
最後まで読んでくださった方、私の拙い旅行話にお付き合いいただきましてありがとうございます。
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by marikzio | 2006-03-21 19:19 | 小さな目で見たParis | Comments(0)

春ですねぃ
年度末、年度始めは何かと慌ただしい時期。
今年もこの季節がやって来たんですねぃ。なんか憂鬱...。
私の仕事も、これから先一ヶ月がとても忙しくなるので、ブログの更新ペースもやや遅れ気味となりますが、書きたい話題があったらアップして行きたいと思ってますので、見捨てないでいてくださいね。

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もうすぐ4月。
4月には出ると噂のTizianoの新作、早く詳細が発表されないかしら。待ち遠しいです。
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by marikzio | 2006-03-20 00:20 | Comments(2)

Vous parlez francias?
ゔ・ぱるれ・ふらんせ ?   
今回のフランス旅行で現地の人に何度となく訊かれた言葉です。「フランス語、話せますか?」

2005年の秋季仏検(2級)を申し込んだと、当ブログに書いておきながら、思うように準備できなくて、どんどん負担になり、結局棄権してしまった私...。
「誰も覚えてなきゃいいけど」と思いつつ、それには触れないでおいたのに、フランス出発前夜にしばしの再会を果たしたあんきーおさんに、開口一番「ぶつけん、どうしましたか?」と聞かれてしまいました。(^^ゞ

と、言うわけで、今回もフランス語はおろか、英語も満足に勉強しないで渡仏してしまいました。まぁ、いつもの事なんですが...。買い物とか、ホテルのチックインぐらいだったら片言でも何とかなるし、別に地元の人とお話することもないから、どうってこともないんですけどね。
しか〜し、海外旅行に行った方なら大概、経験あると思うんですが、東洋人は、よく道を聞かれます。
言葉も満足に通じないハズなのになんで〜??? しかも、私なんて、中華デリで見知らぬオバサンに荷物の見張り番頼まれてしまうし。現地の人から見て、東洋人(特に日本人)って、大人しそうで親切に見えるから声をかけやすいんでしょうか?しかも、日本人はダマしやすいと思われてる反面、いい人に見えて信用されやすいのかも知れまっせん。
とにかく、メトロ駅や道端、美術館で「フランス語は話せるか?」と聞かれました。その度に「ノン」と答え、「あ〜、こんなことなら本気で勉強してくれば良かった〜」と悔しく思うことしきり。自力で習得した片言の言語でも相手とコミュニケーションが取れれば、旅ももっと有意義なものになるのに、と何度も感じているmarikzioなのでした。

でも、ニース滞在時、夜の8:30頃にサラリーマン風の男性から「フランス語は話せますか?英語は?」と声をかけられた時は、「どっちもダメなの。オホホホホ...。」という日本人特有の曖昧な笑いで立ち去りました。単に道を聞きたかっただけなのかも知れないけれど、ホラ、『君子危うきに近寄らず』という言葉もあるし。
しかし、一人で海外旅行までしていながら、英語もフランス語もダメ、というのも恥ずかしいですよね。ほんとに質が悪いのは日本語でいきなり話しかけてくる人なんだから、そういう輩にナメられないためにも、言語はちゃんと勉強する、という姿勢が大事なのかも知れません。

フランス・ツーリズム情報局「話しかけてくる人に注意」

と、こんな風に現地で理由もなく話しかけて来る人には要注意!!!なのですが、逆にちょっと笑えるようなエピソードもありました。
ポンピドーセンター横にある小さな映画館の前を通った時のこと。
これは映画館ではなくて、ポンピドーセンターの写真。
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私、一度くらいは地元の映画館に入ってみようと思ってるんですよね。もちろん、吹き替えでも字幕でも理解することはできないのですが、地元の人に混じって映画館とかに入るのって、いわいる観光コースとは違う、地元に密着したようなアクションじゃないですか。
時間的にドンピシャであれば、入ってみようかな?と思ってタイムテーブルをチェックしていたのですが、そばにいたオバサンが私に「ここは何時から始まるのかしら?」みたいなことを聞いて来ます。
「何時から?」って、ちゃんと張り紙があって開始予告が書いてるじゃないかー。ひたすら張り紙を指さす私。外国人の私なんかよりフランス語が解るのに、それを確認しないこのマダムって...。
「この"Une Nuit"が観たいのよー。まだ始まんないのかしら?」
張り紙によると上映第1回は13:20から。今は10:30なんだから、あと3時間くらい後なんだけど。
「あぷれ・みでぃ」(午後)と私はマダムに言ってみました。
「Apres-midi?」マダムは聞き返しました。「maintenant ferme?」(今は閉まってんの?)
「そうです。」
だからさー、張り紙に書いてあるんじゃん。
「ねぇ、あんたフランス語しゃべれんの?」再び私にフランス語で質問するマダム。
「No,English,un peu」と私。
「それでさ、なんでアナタ、ここにいるの?」

出たー!!オバサマの無駄な好奇心!!!

「ゔぁけいしょん」
「ふうん、旅行してんの。それにしちゃ、アンタの英語はうんたらかんたら...。」
後半の部分は解りませんでしたが、なんかこの時、外国の方と話している気がしませんでした。うちの母とか近所のオバちゃんと接しているような...。
そうです、オバハンって、どこの国も一緒なんですよね。自分で確認すればわかることを人に聞いて調べさせるし、どーでもいいようなことに関心を持つし。しかも、バリバリの自国語。
相手が外人だろうが、とにかく何か言えば通じるだろうと、自分の言葉で通すのも、海外旅行中の日本人おばさんと一緒ですよね。

しかし、ワタクシ、これはある意味発見でした。
向こうから話かけてくる男性は若くてもおじさんでも、良からぬことを企んでいそうで怖いけど、オバサンは純粋におせっかい心。英語もフランス語も解らないとなると、退いてしまう若い人たちと違って、仏語オンリーでアタックしてくるオバサン。これって、仏語初心者にはある意味いい教材なのかも。もちろん、オバさんだから悪人じゃない、と過信するのも禁物ではありますが。
特にアナタが20代の男の子だったら(30代でも可)、マダムの萌え心をくすぐりまくりです。海外で困ったことがあったら、オバサンに助けを求めてみよう。

そうそう、漫画家の楳図かずおさんは五ヶ国語を独学で学んでいるようです。彼の情熱を見習わなくては。
それにしても、ヨーロッパ言語ばっかりですね。先生も欧米に憧れてるのかしら?

情報元 ドラム小僧さんの海辺で気まま日記「楳図かずお五ヶ国語を学ぶ」
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by marikzio | 2006-03-19 21:35 | 小さな目で見たParis | Comments(2)

モーガン・スパーロックの『30 DAYS』
映画 『スーパー・サイズ・ミー』で「30日間、マクドナルドを食べ続けたらどうなるか?」という人体実験的ドキュメンタリーを製作しているMorgan Supurlock。
『スーパー・・・』は映画だったけれど、TVシリーズでいろんなテーマに取り組んだ「究極の30日間」を記録した『30 DAYS』がWOWOWで3月18日(土)から毎週土曜日、深夜0:00にオンエア。
毎回違った実験で全6エピソード放映というから楽しみ〜♪
放映内容の概要はこんな感じです。

b0069502_18581457.jpg第1話「最低賃金で30日間」
まずはスパーロック監督とフィアンセのアレックスが法定最低賃金だけで30日間の生計をたててみよう、というドキュメント。
体力勝負のワークが中心みたいなんですが、どーなることやら...。



第2話「アンチエイジングを30日間」
中年太りで体力低下が気になる30代男性がエクササイズや薬物投与でアンチエイジング。
最初は「女性が毎日、エステ通いすると肌がどんなことになるのか?」という実験かと思いました。ピーリングとかボトックスの怖さを暴く、みたいな感じで。(笑)
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第3話「イスラム修業を30日間」
敬虔なクリスチャン男性がイスラム教徒のコミュニティーで30日間の生活...。
イスラム教徒って、一日に何回もアッラー様にお祈りしてるイメージがあるニャ〜。どんな生活になるんでしょ???


b0069502_19264694.jpg第4話「ゲイと一緒に30日間」
同性愛恐怖症の24歳のアメリカ男性がゲイ・コミュニティーで30日間を過ごす。
マイノリティ者たちが偏見の残る社会で生きることはどういうものかを知らされる内容になっているとか。
アメリカのゲイ・ピープルって、とっくに市民権取ってると思ってたけど、以外と偏見根強いのかな?アメリカって意外に保守的なんですよね。アカデミー・アウォードの監督賞をとった『ブロークバック・マウンテン』もかなり話題になったみたいだし。


第5話「時給自足で30日間」
大量消費に慣れた30代カップルが電気・水道・ガスに頼らない完全エコ生活。
もちろんテレビもパソコンもiPodもないんですよね。私には絶対ムリ...。あ、電気は自家発電なのかな?

第6話「酒浸りで30日間」
大学生になってから、大酒を飲んでは毎日乱痴気騒ぎを起こしている娘の母が、自分が毎晩酒に酔って醜態をさらすのを見せつける、というママの体当たり企画。
かなり異色な題材ですこと...。

このなかで私が特に興味を持ったのは「アンチエイジング」、「イスラム修業」、「ゲイ・コミュニティでの生活」でしょうか。
15日に第1話が先行放映されたみたいですけどね。とりあえず、これから土曜日の夜はチェックしなくちゃ。

WOWOWオンライン モーガン・スパーロックの『30DAYS』

Fx Networks 30 DAYS WITH MORGAN SPURLOCK
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by marikzio | 2006-03-16 19:07 | Television | Comments(2)

「サド侯爵の生涯」  澁澤 龍彦 著   (その3)
妻との離別
晴れて、自由の身となったサド。しかし、それと同時に彼は、思ってもみなかった冷たい仕打ちを受けるのです。
出所した翌日、サド侯爵夫人が身を寄せるサン・トール修道院を訪ねた夫は、面会を拒絶されてしまいます。離別の意志を明らかにした夫人の態度はサドにとってはまさに晴天の霹靂。彼女は長年に渡って忠実な囚人の妻であり続け、老いて弱った体をおして、バスティーユ監獄に足繁く通ったほどだったのに。
実は、サドもバスティーユ時代から、妻が自分と別れたいと思っていることはうすうす悟っていたらしい。しかし、囚人にとって、妻の存在だけが頼りだったので、そのことには気づかないふりをしていたのです。
修道院生活に入り、子どもも成長してしまった夫人にとって、いまやサドは煩わしいものでしかない存在。出所した今、自分が夫にしてあげるべきことは、もう、なくなったのである。今で言う『熟年離婚』に近いものがあるのかも知れません。
手の平をかえすように冷酷な妻の態度を恨みがましく思いながらも、ブーロワル街のホテルの一室で、新しい生活を始めるサド。シャラントンの修道士に預けてあった家具や衣類は長男のルイ・マリーが運んでくれました。
しかし、さすがに生活に窮したので、義母のモントルイユ夫人のところへ生活費を借りに行きます。数ルイの金を貸してはくれたものの、早く自活の道を講ずるようにと意見する義母の態度にルネ夫人が別離を決意した背後に母親が絡んでいることを、サドはその時確信しました。
カトリック信者は離婚が禁止されているので、ルネ夫人はパリ裁判所に夫婦別居の申請。同時に持参金としてサド家に受納されていた十六万八百四十二リーブルの金の返却を要請します。計算高いモントルイユ夫人の入れ知恵であることは間違いありません。
そして、入獄前にサドと関わった他の誰も、彼に救いの手を差し伸べてやろうとした者はいませんでした。二人の息子を除いて。

新しき伴侶、演劇と本の出版
こんな風に踏んだり蹴ったりな人生の再スタートを切ったサドですが、青年時代からずっと情熱を燃やしていた戯曲の活動を本格的に始めます。劇場の楽屋や廊下に何度も出没して、以前のように若い女優に言い寄るのではなく、ひたすら自作の脚本を売り込みに奔走します。
韻文劇『誘惑者』がイタリア座の脚本審議会を通ったり、コメディ・フランセーズの脚本審査会で『閨房、あるいは信じやすい亭主』を自ら朗読して聴かせたり。今日、18世紀の小説家として認識されているサドですが、もともとは戯曲の世界に憧れていた人であり、劇作家になることが夢だったようです。
それと同時に配偶者と別れたばかりの女性(当時40歳)と交渉を持ち、彼女が所有するアパートの一室で生活するようになります。しかし、その女性との関係は長く続かず、1790年、別の女性が彼の前に現れます。マリー・コンスタンス・ルネルという30にも満たない若い女優。夫であった商人バルタザール・ケネーは妻を捨て、アメリカに渡り、彼女には連れ子が一人。この時、50歳を過ぎていたサド、相変わらず、というべきか天晴れというべきか。しかし、このケネー夫人とは非常に相性が良かったらしく、若い時のような情熱的な恋愛関係というより、老夫婦のようなほのぼのとした愛情関係が晩年まで続きました。あれほどまでに色好みだった元侯爵は、彼の良き理解者であるケネー夫人以外の女性に気が行くようなことはなくなったのです。

バスティーユ時代に書かれた『オクスティエルン』が1791年10月22日、モリエール座で上演されました。これが初めて舞台に乗った戯曲。『オクスティエルン』大成功を治め、11月4日に二回目の公演となり、その晩の成功を当時のモニトゥール紙がかなり詳しく伝えられています。
イタリア座で採用された『誘惑者』は本番当日、幕があがった瞬間にジャコバン派のグループに妨害されて断念。妨害の理由は「貴族的だったから」という政治的理由によるもので、彼の芝居が上演されたものは、事実上『オクスティエルン』だけとなりました。それ以降にも戯曲をたくさん書いて、売り込み活動はしているものの、採用には到らなかったのです。

同年に、小説『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』が上梓され、これが市場に出回った彼の初めての著書となります。言うまでもなく、バスティーユ時代に書いた『美徳の不運』のリメイク作品。もっとも、オリジナル作品は紛失して、生前彼の元に戻らなかったのだから発表されることもなく、そういう意味で結果的に、これが「ジュスティーヌ物語」の第1作となったわけです。
本人曰く「金のために、出版者の求めるままに、悪魔も鼻をつまんで逃げ出すような不潔な作品」だったそうで、あまりに不道徳で猥褻な内容のため、版元はオランダ、作者は死んだもの、とされました。この二巻からなる皮装丁の好色本は売れに売れ、死んだはずの作者の台所事情にも大いに貢献したのです。
ジャーナリズムがこぞって「『ジュスティーヌ』の作者はサド」と論じるのに対し、サドは生涯、それを否認し続けています。

恐怖政治とラ・コスト城の破壊
サドが釈放された1790年はまさに恐怖と無秩序の時代。
1791年6月20日、パリを脱出しようと目論んだルイ十六世一行がヴァレンヌで捕らえられてパリに護送。ロベスピエールの独裁政治が猛威を振るって、王党派や穏和主義者は次々に首を切り落とされたという、戦慄の時代。フランス革命の空気はフランス全土に広がって、地方では農民一揆が続きました。
1791年8月10日にはパリで暴動が起こり、それに続いて9月2日、パリ中の監獄が襲撃され、貴族、僧侶、女から子どもまで、1,100名から1,400名の者が大量虐殺されるという「9月の大虐殺」が勃発。
サドが書いた手紙によるとマリー・アントワネットの幼友達であるランバル侯爵夫人が犠牲者となり、その首が槍の先に突き立てられ、王妃と王の目の前に差し出され、胴体は卑劣きわまる辱めを受けた末に、街中を引きずりまわされた、と記述されています。まさに、自分が書いた小説に出てくるような血みどろの光景にサドは震え上がるのです。
余談になりますが、ギロチンって最高に身分の高い人のための処刑ですよね。逆に一番卑しい身分の者はイエス・キリストが十字架にかけられた磔刑とか火あぶりとか。どれも公開性があって、一般市民は罪人が処刑される瞬間を見学しに集まったりして、死刑って庶民の残酷趣味な娯楽だったのでしょうか?
「9月の大虐殺」の勢いは地方にも飛び火して、かつてのサド邸だったラ・コストの城にも約80人の村民が侵入し、滅茶苦茶に破壊してしまいました。このニュースを聞いた時、サドは「自殺してしまおうか」と思ったほど衝撃を受け、落胆してしまいます。

ここで、ちょっと脱線。
ラ・コスト城
プロヴァンス地方はアヴィニョンの近くにあるラ・コスト城。
芝居フリークだったサド侯爵が招待客の前で自作の戯曲を上演したり、若い女中や下男を集めて秘密の饗宴を開いたりした、彼にとって最も華やかなりし時代の思い出が詰まった館。
現在、200年の歳月を経て老朽しきった廃虚ではありますが、公開もされていて、フランソワ・オゾンの映画『Swimming Pool』の中で女流作家役のシャーロット・ランプリングが見学しているワン・シーンがあります。天井はなく、崩れた壁と煉瓦、石の階段という文字どおりの廃虚の光景。私は実際に行ったことがなく、饗宴が行われた部屋とか寝室とか見てみたいとは思うけれど、立ち入り禁止になってるのかも知れないし、風化が進んでしまって、壁も床もなくなってるのかも知れません。名高い性犯罪者だっただけに、現場に資料とか写真の展示もなさそうな感じだし。映像で疑似体験してるだけで充分な気がします...。丘から見下ろす景観は南仏的できれいでしょうけど。

サドは一時期、ピック地区の委員長にまで昇格し、公の名士として活躍するようになったのに、「反革命派」という疑いをかけられ、再び逮捕されてしまいます。貴族出身という微妙な身分が災いしたのです。革命政権下で監獄や修道院などの施設にたらい回しにされ、自分の隣で悪性の熱病に罹った囚人が死に、1,800人もの受刑者を庭に埋める仕事もさせられました。彼自身も処刑者リストに名前が載ったこともあり(結局はギロチンを免れましたが)、自分で紙の上に描いたバーチャルな暗黒世界をまさにリアルで実体験することになったのです。まるで彼の小説が近い将来を予言していたかのように。
そんな地獄絵図のような時代が終焉したのは1794年7月28日。午後7時半、ロベスピエールら22名のテロリストが革命広場で処刑されました。これが世に言う「テルミドールの政変」です。
そして、それから一ヶ月半後にサドは釈放され、ケネー夫人と同棲生活に戻ることになりました。

貧窮を極めた生活
自由を取り戻したとはいえ、職を追われ、俗世間からかけ離れた、処世術が著しく劣っている男。こんな人物が人並みの収入を得て生きていくのは想像以上に困難なことなのです。当然、生活は困窮し、お金を稼ぐため、1795年、彼は再び本を出版します。
哲学小説『アリーヌとヴァルクール』と匿名で出版した『閨房哲学』

『閨房哲学』
河出文庫『閨房哲学』
「『美徳の不幸』の作者の遺作」だなんて、「ジュスティーヌ」の商業的成功を再び狙った魂胆がミエミエですね。私は手元に持っていますが、まだ未読。
「閨房」とは寝床を意味しています。"寝床の哲学"、それがどんな内容なのかは言わずもがなでしょう。
当時、添えられたエピグラフは「母親は娘にこれを読ませねばならぬ」。

その二年後に発表された『新ジュスティーヌ』および続編『ジュリエット物語』
"遺作"だなんて言ってて、生きてんじゃん!(と、突っ込みたくなりますよね)
もちろん、この手の好色物は超売れ筋。『新ジュスティーヌ』と『ジュリエット物語』は分けて買うこともできたそうです。

『新ジュスティーヌ』
河出文庫『新ジュスティーヌ』
1791年の『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』の続編かリメイク版。『オリジナル版ジュスティーヌ』にさらに過激な描写を加え、ヒロインをいたぶる悪党どもによる"オレ様哲学論"が延々と語られ、厖大な量に膨れ上がった本文の中から澁澤氏が一部のエピソードを抜粋して全体の4分の1を抄訳。
原ジュスティーヌが淡々と綴られ、ストーリーもわかりやすく読めるのに対し、リメイク版はひたすら冗漫で、無駄が多いように感じます。生きるのが下手なオリジナルのヒロインは、その不器用さのために災難に見舞われる、という設定がどこか寓話的でリアリティーが感じられるのに対し、新ジュスはペルソナージュが希薄で、人形のようにいじめ抜かれています。生々しい場面が多くなっているのは読者受けを狙ってのことでしょうか?
ナポレオンがこの作品を読み、サドは死ぬまで精神病院から出られなくなってしまうのです。

『ジュリエット物語』
河出文庫『悪徳の栄え』
「美徳のジュスティーヌ」と対をなす「悪女ジュリエット」の物語。
ジュスティーヌの姉ジュリエットが何のためらいもなく娼婦の世界に飛び込み、背徳の世界で生き抜くための悪徳修業を経て、あらゆる悪党と知りあいになって、出世して行くストーリー。鶏姦、裏切り、殺人、何でもアリのヒロインは巨万の富みと地位を手にして、悪の賛歌を高らかに歌う。「ほうら、悪が勝利するのじゃ!ぐわっはははは」という作者の高笑いが聞こえてくるような...。
澁澤氏はこれもオリジナルの3分の1に抄訳しているのですが、それでも上下二巻。長かったです...。

サド作品って、実は読んでいてそれほど愉しいものではなく、むしろ退屈で、不愉快な気分になります。やたら小難しい哲学的理論を延々と展開して、それで無駄にページ数を稼いでいるという感じです。「悪徳の栄え」はそんなサドの負の特徴が最も端的に出ていて、そういう意味でもこれは大傑作です。
気づくと「何でこんなことをするんだろう」と真面目に腹をたてている自分がいたりして、でもその怒りって、サドが人生の中で社会から受け続けて来た仕打ちに対しての怒りが移っているものなのかなぁ、と思ったり。実際、サドが抱いた怒りなんて、こんなものじゃなかったんでしょうけど。
「読んでヤな気分になるなら最後まで読むなよ」なんて言われそうですが、この退屈というのが不思議とやめられなかったりして、それがサド文学の毒であり、魅力なのだと思います。

生活の苦しさは一行に緩和されず、プロヴァンスにある土地やラ・コスト城まで手放します。ついに万策つきて家を売り払い、ケネー夫人は友人の家に、サドは昔使っていた小作人の家に転がりこむところまで行ってしまいます。要するに乞食同然の生活。
贅沢三昧に暮らした不良貴族がこのような貧困者に身を落すことになるとは、誰が予想できたでしょうか?もはやかつての高慢で幼稚な放蕩者とは別人物なのです。
1800年、貧窮のどん底に陥り、ヴェルサイユの慈善病院に入り、この年の10月、「恋の罪」を刊行します。

『恋の罪』
河出文庫『恋の罪』
これはサドの名前で出版。悪意ある批評家たちが「『ジュスティーヌ』の作者と同一人物である。」とこぞって書いたのに対し、憤然として抗議。
だから、バレバレなんですってば!

逮捕と拘束
『新ジュスティーヌ』刊行から4年後、出版元のマッセ書店が警察の捜査を受け、その場に居合わせたサドは御用、となってしまいます。
再び牢獄生活へと突入。2つの獄を渡ったあと、健康状態を心配した家族の要請により、シャラントン精神病院へ。再びこの病院の門をくぐることになりましたが、これを最後に、サドは二度と娑婆の世界に戻ることはなかったのです。

シャラントン精神病院は監獄よりもはるかに居心地の良い場所でした。院長クールミエの好意により、病院内に劇団を組織して、自作の芝居を上演します。役者は同じ病院の患者たちで、外部から招待客を呼んで公演会は開かれました。執筆活動では『エミリーの物語』、『フロルベルの日々、あるいは暴れた自然』を浄書。
1811年、『新ジュスティーヌ』の新版が再びパリに出回り、病院内で何回か訊問を受けることになります。出版社の商魂のたくましさが伺われるエピソード。
比較的、優遇されていたサドの病院生活でしたが、シャラントン病院付医師長ロワイエ・コラールが彼の存在を心良く思わず、次第に院内での活動が制限されて行き、ついには一切の芝居活動が禁止されてしまいます。
ナポレオンに健康の衰弱を理由に保釈を申請するも、彼が汚らわしい『ジュスティーヌ』の作者である、という理由もあって留置が決定し、サドは人生最後の日をここで迎えることになってしまいます。

そして、死
1814年。74歳になっていたサドは日に日に健康が衰え、歩行不能に陥ってしまいました。
12月2日、次男アルマンが午前中、病床の父を見舞いに来ましたが、病院付実習生のラモンに看病を依頼して帰宅。同日午後十時頃、サドは医学生に看取られながら死にました。ラモンの診断によれば喘息性肺栓塞。
「余の棺はヴェルサイユ百一番レガリテ街の材木商はル・ノルマン氏に作らせ、遺体は氏の護送のもとに、エペルン近在エマンセ郡マルメゾンなる余の土地の森に運ばれ、いかなる形の葬儀の形を取らず、前記の森の右手に位置する叢林の下に墓穴を掘って安置して欲しい。墓穴の蓋を閉めたら、その上に樫の実を蒔き、余の墓の跡が地表から見えないようにしてもらいたい。余は人々の記憶から消し去られることを望む。」と書かれた彼の遺言はことごとく破られました。ル・ノルマン氏に連絡はされず、遺骨はシャラントン病院付属の墓地にカトリック教会の方式に従って埋葬され、墓には十字架が建てられました。
次男アルマンは不心得者で病院に残された、かなりの量に及ぶ原稿は警察と一緒に焼却し、他の一部は箱の中に封印して、サド家で五代の間、門外不出の扱いになったのです。罰当たりな息子もいたものです。

本著の最後の方で澁澤氏は、マドレーヌという16歳の少女との最後の恋とジャンヌ・テスタルという当時20歳の娼婦の供述、という補遺を添えています。
前者はシャラントンの病室で出会った雑役婦の娘と死を直前にした70過ぎの老人が親密な関係にあり、少女は「また来るからね」と約束したのに、サドが急死して逢瀬が果たされず、彼の最後の女性はケネー夫人ではなく、実は50歳以上も歳の離れた女の子だったというお話。まさに死ぬまで現役だったとは。
しかし、それよりも後者のお話の方が興味深いです。当時23歳ぐらいだったと思われる、投獄前のサドらしき人物がジャンヌ嬢にキリスト像の前で神を冒涜するような行為を行い、彼女に「自然に反する方法で交わりたい」と言い放ったこと。
それこそがリベルタンとしてのサド!彼の全存在を象徴するようなエピソードです。

彼は生まれて来る時代を間違ったのでは?200年遅く、この世に誕生していたら、それほど不幸な人生を送らないで良かったのに。
学校の教科書には絶対に登場することのない、この前衛的な思想家は、しかし、18世紀時代のフランス哲学を語るうえで欠かせない存在であるのです。次世代の文学者、思想家、心理学者にインスピレーションを与えた偉大な星として、今もなお君臨しているのだから。

(その1)

(その2)
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by marikzio | 2006-03-15 17:24 | Book | Comments(0)

「サド侯爵の生涯」  澁澤 龍彦 著   (その2)
モントルイユ家の女たち
独身時代から遊蕩者という悪評が絶えず、汚点だらけであった青年ドナチアン。彼の縁談がこれまで何度も失敗しているのも実はその為であり、そんな彼を敢えて受け入れ、その人生に割り込むこととなったモントルイユ家の女たち。度重なる不祥事や遊興で膨れあがる負債。婿に翻弄された彼女たちもまた、彼の人生を支配下に置き、その運命を掌中に治めていたのです。ここで、サドの義母と妻、その家庭について簡単に述べたいと思います。

義母、モントルイユ夫人
小柄で魅力的な美人。愛嬌があって華やかな人でしたが、狐のようにしたたかで、野心的。
ドナチアンの悪評に目をつぶってまでも、縁談に積極的だったのは、王家と血縁を結び、婿に宮廷で身分の高い地位についてもらうことを望んでいたが為。しかし、野心なき花婿はそういう社会的名誉にまるで関心を示さず、義母の過干渉を疎ましく思う始末。
最初、モントルイユ夫人は婿に好意的で、最初のスキャンダルでヴァンセンヌに投獄された時も請願運動をして、彼が出所するのを助けたりもしたが、妻ルネの実妹であるローネー嬢と関係したことをきっかけに敵対するようになる。
モントルイユ夫人の積極的な運動により、何年も逃亡生活を続けていたサドは逮捕され、長い牢獄生活へと送り込まれることになった。彼にとってはまさに悪魔のような女。

妻、ルネ夫人。
前回も書いたように、この結婚は両家の利害関係が一致した政略的な結婚。
しかし、おとなしく貞淑なルネにとってはサドは純粋に愛するする夫であり、若い舞台女優や実の妹など、数々の不貞を黙殺し、夫が収監された時代もずっと影で支え続けた。
容姿もスタイルもそれほど目立つものではなく、生真面目な妻をサドは少々、面白みのない女だと思っていたようだが、捕らわれの身である彼にとって、唯一頼りにできる身内であり、わがままを受け入れてくれる存在であった。彼との間に二人の息子と娘をもうけている。
しかし、サドがようやく11年間の牢獄生活から開放される時が来た時に、ルネ夫人は29年間の結婚生活に終止符を打つことを表明し、修道院で隠遁生活に入ることとなる。
長男ルイ・マリー次男のドナチアン・クロード・アルマンは父のことを生涯恥じて、ルイ・マリーは兵役中に偽名を使っている。長女マドレーヌ・ロールは知恵遅れであったらしい。
なお、三島由紀夫の戯曲「サド侯爵夫人」は本著「サド侯爵の生涯」が母胎となっている。

ローネー嬢。
ルネ夫人の実妹。姉よりも6歳年下で、容姿も彼女より優れていた。
最初、サドは彼女と結婚したがったのに、モントルイユ夫人がこれを阻止して、地味なルネと結婚させた、という俗説もある。
修道院で教育を受けたあと、俗世間に出て姉の婿、サドと出合う。好奇心旺盛で、冒険心のある魅力的な美少女というから、サドが夢中になったのも無理はない。二人の関係は秘められたものであったが、サドの起こしたマルセイユ事件で動揺した彼女が家族に口を滑らせて発覚した。ルネ夫人はこれを黙認していた、とも言われている。
マルセイユ事件で死刑宣告を受けたサドはローネー嬢を連れてイタリアへと逃亡の旅に出る。
嫁入り前の娘を娘婿に傷物にされたことに腹をたて、これをきっかけにサドと敵対関係になったと言われている。しかし、ローネー嬢は天然痘を患い、ラ・コスト城でその生涯を終えることになる。

フランス革命までの牢獄生活
『城壁には入口が一つしかなく、二人の歩哨が番をしている。三つの城門はいつもぴったり閉ざされている。四つの塔の内部に区切られたすべての部屋は、囚人の独房である。それは二重の鉄扉で閉ざされている。壁の厚さは十六尺で、天井は三十尺以上の高さである。この暗い部屋には、太陽の光の差しこむ窓すらないので、常に永遠の夜が支配している。鉄の格子戸は、狭い明かり取りを遠ざけている。中庭のほうに向かっては窓もあるが、堀の胸牆頂きに突き出た城壁の内部の部屋にはそれさえない。言うまでもないが、囚人の部屋には夜でも昼でも錠が下ろされ、閂がかけられている。』
(ミラボー『拘束状と国家監獄論』1782年 より)

1778年9月、ヴァンセンヌの城砦の第6号室で幽閉生活に突入したサド。ここの独房で5年半を過ごした後、ヴァンセンヌの牢獄は閉鎖となり、バスティーユ監獄に連行された彼は、「自由の塔」と呼ばれる獄舎で獄中生活を続けることになります。1789年の7月、サドはある騒ぎを起こして、監獄から精神病院へ送られ、その直後に革命が勃発。憲法制定審議会の訓令により、ようやく彼が自由の身となり、娑婆の世界に出た時は、ヴァンセンヌ投獄から11年の歳月が流れていました。

孤独と厳寒、神経衰弱。火の気のない獄中、空さえ満足に拝めない劣悪な環境の中で、夜はネズミが布団の中に入って来るのではないかと怯えながら、ひたすら身内に手紙で窮状を訴え続けたサド侯爵。ルネ夫人との初面会が許されたのも、入獄してから4年の月日が流れていました。
長期に及ぶ監禁生活のせいで、彼の神経は苛立ち、獄史と度々大喧嘩をするようになっていました。そのことによって、散歩が禁止されたりなど、余計に拘束を強いられるという悪循環。妄想に取りつかれるようにもなっていて、数年ぶりに妻との再会を果たすも、「夫人がある男と浮気し、姦通している。」と疑うようになって、手紙で激しく彼女をなじるようになります。嫉妬に狂った夫の執拗な追及に、侯爵夫人は愛想をつかすどころか、身の潔白を証明するために修道院で暮らし始めるという涙ぐましさ。家計はすでに火の車でしたが、囚人の際限ない物資の無心にもできるだけ応えようと努力し、夫の釈放のためにあらゆる事を試みます。
しかし、その甲斐なく拘留期間は引き延ばされ、時間だけが残酷に過ぎて行ったのです。

牢獄文学者の誕生
外の世界から遮断され、己の内側の声に耳を傾けるほかない彼にとって、残された唯一の愉しみは、子どもの頃から親しんでいた書物の世界に没頭することでした。時に「囚人の頭を興奮させ、好ましからざる事を書かせる」という理由で一切の書物が取り上げられることもありましたが、今の彼にとって、「想像力の赴くままに書くこと」が己の不幸を忘れることのできる慰みとなっていたのです。4年間の間に読んだ書物は膨大な量となり、ダムのように蓄積した知識や想像力が噴火口のように、ペン先からほとばしり出るのはもはや時間の問題。
1782年7月12日、サドはついに対話形式の哲学的小品『司祭と臨終の男との対話』および『随想』を含む一冊の手帖を脱稿。しかし、暗闇の中の蝋燭の下で何日も細かい字を書き続けたために、彼は眼病に悩まされるようになりました。満足に眼科治療も受けられない悪条件の中、サドは取り憑かれたように執筆を続け、内側で炸裂する怒りの炎を暗黒文学へと昇華させて行きます。
バスティーユで彼は『ソドム百二十日』の浄書を終え、その後、わずか15日で中編「美徳の不運」を書き上げます。
バスティーユ牢獄時代、50編にもおよぶ短編および中編小説を書いたサド侯爵。その人生の中で、創作活動が最も旺盛だった時代であり、作家サドが行動を開始した最初の地点でもあります。しかし、1789年のバスティーユ襲撃によって、書き留められた膨大の量の原稿は暴徒たちによって踏み荒らされ、紛失してしまいます。そして、二度と本人の手に戻ることはありませんでした。
しかし、その四散した原稿の中には彼の死後、運良く発見されたものもあり、出版され、今日、読むことができるものもあります。
その中で代表的なもの、私が印象に残っているものを紹介したいと思います。

『ソドム百二十日』
ルイ十四世時代末期、殺人と汚職によって、莫大な私財を築き上げた4人の悪徳老人が「黒い森」の人里離れた城館で42人の男女ととも120日間に渡る"ソドミーな大饗宴"を催すお話。数多くの美男美女が陵辱され、虐殺されていく描写が気持ち悪くて、腹立たしくもありました。(ただのフィクションなのに...)
奔放な想像力、残虐でエロティックな妄想、反社会的なサドの思想が結集した大傑作、と言われています。性倒錯嗜好のデパート、とでもいうべき内容で心理学者にとって重要とされている作品なんだそうな。襲撃で紛失してしまい、サドは生涯にわたって、このことを悔やんでいたそうですが、彼の死後に発見され、襲撃から120年後に出版。彼の未完の最高傑作は1世紀以上の時空を経て日の目を見ることになったのです。

『美徳の不運』
河出文庫では『美徳の不幸』というタイトル。
美徳のジュスティーヌと悪徳のジュリエット。この対称的な姉妹の物語はサド文学を読んだことのある者にはお馴染の代表作。とくに美徳に生きることを選んだためにヒロインが次々に酷い目に遭う『ジュスティーヌ物語』をサドは生涯にわたって3バージョン書いており、まさに彼のライフ・ワークともいうべき題材。
「原ジュスティーヌ」とされる本作はサドがバスティーユ監獄でわずか15日で書き上げ、その翌年に加筆・訂正を加えてボリュームのある中編小説に仕上げたもの。これもまた、襲撃のどさくさに紛れて永いこと紛失していましたが、1909年、パリ国立図書館でアポリネールにより発見され、1930年にモーリス・エーヌにより紹介・刊行。『ソドム百二十日』と同じように100年以上の眠りから復活して、今日に到っています。
生みの親が死に、世紀が変わってから日の目を見る作品というのは、やはり生命力を持っているのだと思います。どちらも凄いエネルギーだ。

家が破産し、父は国外へ追われ、母が悲しみのあまり死ぬという不幸に見舞われたジュリエットとジュスティーヌ姉妹。けものみちを生きてでも、裕福な特権階級にのし上がろうと野心を抱く姉ジュリエットと、そんな堕落した人生を歩むより、高潔な精神のままでいたいと主張する妹ジュスティーヌは根本的な性格の違いから決別します。
心優しきジュスティーヌは出あう人々につけ込まれ、辱めを受け、彼らから逃げても逃げても、行く先々で同じような邪悪な人物に遭遇します。
最後に伯爵夫人となったジュリエットに保護され、しかるべき身分を与えられますが、何もかも恵まれた環境が自分にはそぐわないように感じてしまいます。
悲劇のヒロインは雷に打たれて命を落とすのですが、サドは出所後、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』として復活させ、フランス文壇にセンセーショナルなデビューを飾ります。作者は死んだものとして。

『ユージェニー・ド・フランヴァル、悲惨物語』
河出文庫「ソドム百二十日」に収録している中編小説。父と娘の近親相姦を扱った家庭悲劇。
魅力的な容貌の下に悪徳の塊のような本性を隠した、フランヴァル。類い稀なる美貌で高潔な精神をもったファルネイユ家の娘と結婚するが、彼女との間に生まれた娘、ユージェニーを自分の情婦にしてしまう。父親から、母を激しく憎み憎悪するように吹き込まれたユージェニー、父親譲りの堕落した精神の持ち主で、父と共謀して母親を陥れてやろうと画策します。
近親相姦ものって、古典悲劇にはよく見られるものだそうで、この作品もどこか古風な美しさがあります。悪しき者が滅びる、という結末で、サド作品としては珍しい。
一見、悲惨としか言いようのないお話ですけれど、コレ、なかなかの傑作ですよ。映像化したら、結構ドラマチックでいい作品になりそうな気がします。

本当は、私がサド作品の中で一番お気に入りの悲恋物語の短編があるのですが、これを書いていると長くなってしまうので、いずれ機会があったら紹介したいと思います。

革命勃発と釈放
動乱の気運が高まり、暴動まで発生していた1789年7月のパリ。バスティーユの囚人の待遇はだいぶ良くなって、夕方1時間の中庭の散歩に加えて、午前中1時間の屋上の散歩が認められるようになっていました。しかし、パリの擾乱が日増しに激しくなって厳戒体制に入っていたバスティーユの典獄がこの屋上の散歩を囚人に禁じたことにサドが腹を立て、下水を流すために使われていた漏斗型のブリキの管を引き抜き、メガフォン代わりにして、街に面した窓から、通りにいる民衆に向かって大声で叫んだ事件。
この騒ぎによってサドは「危険人物」とみなされ、シャラントンの精神病院へ送られてしまいます。バスティーユを出る時、彼は所持品を一切持ち出すことができませんでした。「印刷屋に渡すだけの状態になっていた十五巻の書物の原稿」もその中にありました。
そして、その十日後にバスティーユは襲撃され、暴徒と化した市民たちがサドの独房だった部屋に押し入り、貴重な書籍や大事な原稿は蹴散らされ、破られ、一部は燃やされてしまいます。

1790年、シャラントン精神病院を出所した彼は50歳になっていました。今や無一文の侯爵は、すっかり肥ってしまい、かつての華やかな道楽者だった頃の面影はきれいに失われていました。投獄された時点でサド侯爵の人生は終っていたのです。

(その3)へ続く

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by marikzio | 2006-03-12 17:56 | Book | Comments(0)


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