エロスに生きた男 -池田満寿夫-
版画家、画家、そして芥川賞作家とマルチな才能を発揮した故池田満寿夫。
徹底したエロスの追及、4人の女性との結婚生活など、生き様そのものがドラマチックだった彼が急逝してはや10年。最後の妻、佐藤陽子の証言を通して、池田の人物像、そして二人の愛情関係を浮き彫りにする、という趣向のドキュメンタリー番組を見ました。
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NHK BS ハイビジョン特集 
シリーズ恋物語 「エロスに生きた男 最後の恋」
2月28日(水) 午後8:00~午後9:50 放送


熱海の海が見える部屋。まぶしい陽光の差し込むフロアで、飼い犬の名を呼ぶ佐藤陽子。二人が夫婦生活を送ったこの部屋で、今も彼女は犬達と一緒に住んでいます。
「とにかく、愛いっぱいの人だったの。」
とびきり大きな瞳を見開いて、ヴァイオリニストの彼女は語る。出会いから、突然の別れまで18年間。45歳と29歳。お互い、結婚している身でありながら、激しい恋愛関係に落ちた二人。陽子は池田に言った。
「自分のこれまでの波乱万丈の人生も成功も、すべてあなたに会うためにあったのね。」

池田満寿夫は1934年、満州生まれ。終戦後、一家は郷里の長野に引き揚げることになります。学生の頃から油絵を描いていた彼は、高校生の頃、自分で描いた裸婦像を学校の廊下に貼り出して、問題になります。
「これは猥褻ではなく、エロスだ。」学校側にこう抗議した、とかで当時、彼につけられた名前は"エロス"。そのあだ名にふさわしく、彼は生涯にわたって、エロティシズムを、とりわけ欲情に悶える女性の姿をモチーフに創作活動を続けることになるのです。陶酔する女の姿を自分は覗き見する存在でありたい。その欲求が彼の創作エネルギー源であり、カタルシスとして浄化されて行ったのです。
しかし、若くして彼は挫折に直面しています。画家、彫刻家をめざして、東京芸術大学を受験するも三度に渡って失敗。受験生時代、ある家庭に下宿していましたが、21歳で、その下宿屋の娘、自分より10歳も年上の大島麗子と結婚してしまうのです。
その結婚にまでこぎつけた経緯というのが非常に奇妙。恋愛関係ですらなかった二人が一線を越えてしまったのが、麗子の母親が死んだ通夜。亡き骸が眠る隣の部屋で、麗子に欲情する池田。「あなたの子宮が見たい」
「結婚してくれるなら、見せてもいいわ」引攣った笑顔で答える麗子。
ま、マジですかい?子宮って、そう簡単に見れるものなんでしょうか?それとも、開腹するってこと?ぎゃ〜、猟奇的!!!
後に池田は「子宮とは人体の中で、唯一、指で触れることのできる臓器。だから、覗き見ることだってできるはずなのである。」とエッセイで語っています。
そして、二人は肉体関係を持ち、池田は約束どおり結婚。しかし、進学はおろか、仕事にも就かない若き夫。麗子は親が残した財産で、生計をたて、池田のためにアトリエを新築しています。しかし、これが逆に、彼を精神的に追いつめていく結果となったようです。
これって、後に池田が書いた短編小説、「テーブルの下の婚礼」の下敷きになっていたのですね。この小説に登場する青年は芸術家をめざしつつも、受験に失敗し続け、デッサン研究所へも足が遠のいてしまった。下宿には行き遅れのあまり魅力的とは言えないサキコがいたが、この女性と寝てしまってからは、毎日のように愛欲をむさぼるだけの怠惰な日々にどんどん堕ちて行くのです。あまりの自堕落ぶりに、読んでいて嫌悪感をもよおすほどだったのですが、抽象的だが背筋がゾッとするようなラストで突然終ります。
大島麗子は職業を持たず、家に引き篭もっているような女性だったらしいので、池田は次第に彼女とのタコ壺の中のような結婚生活に息詰まって行ったのかも知れません。若気の至りとはいえ、「子宮が見たい」というだけで、結婚してしまうなんて、一生の不覚。彼はその後、3人の女性と婚姻関係になるのですが、大島麗子は離婚に応じなかったので、 正式に結婚はできなかった、ということです。しかし、池田と同じ下宿に住んでいた友人によれば、麗子は池田の作品を褒めてくれた最初の女性だったそうで、「愛するより、愛されたい要求の方が強い。自分は常に作品を横で評価してくれる女性の存在がなければならない」という池田の気持ちが、麗子に傾いたのも仕方がない、と言われればそうだったのかも知れません。

妻帯者である池田は知人の紹介で、新進気鋭の詩人、富岡多恵子と出会います。麗子と違って才能に恵まれた多恵子は交友関係も華やで、自分がこれまで知らなかった世界というものが一気に開かれて行きます。多恵子は色彩銅版画に着手した池田の助手を献身的に務め、彼の才能を一気に開花させて行きます。麗子は離婚を承諾してくれなかったので、25歳の時に駆け落ち、という形で事実上の結婚生活に別れを告げます。
1956年、画家・瑛九(えいきゅう)のすすめで色彩銅版画をはじめます。1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展に入選。そして、1965年、ニューヨークの近代美術館で日本人初の個展を開催。多恵子とともにニューヨークを渡り、以来、1979年まで日米往復生活を続けることになります。池田の関係者の証言によると、多恵子は男に仕事をさせる力のあるすごい女ということで、彼女の存在がなかったら、その後の池田はなかった、と言われるほど。今も元気に活動されているはずなのですが、この番組には登場していません。それがちょっと残念でした。
現地での通訳に作品製作の助手、というふうに夫の黒子役をして来た多恵子ですが、彼女自身もまた、非常に才能あふれる詩人だったので、そろそろ自分の創作活動にだって力を注ぎたい。次第に二人の心にすれ違いが生じ、溝が深まって行くのです。
「あなたは、私がいなければ何もできない、何も知らない坊やだった」遠距離電話で、延々と自分の不満や小言を池田にぶつけ続ける多恵子。
これって、池田が芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ」のシチュエーションそのものですよね。「テーブルの下の婚礼」も「エーゲ海に捧ぐ」も池田の実体験が材料になっていたのですね。

過去記事 「エーゲ海に捧ぐ」と「テーブルの下の婚礼」 池田満寿夫

多恵子は去って行きましたが、未知なる世界に踏み入れてしまった池田が後戻りすることはありません。そして、異国の地、アメリカで彼は三人目の伴侶を見つけることになるのです。
中国系アメリカ人、リラン・ジー。ニューヨーク出身の彼女は画家。池田の銅版画に魅せられて近づいて来た彼女と池田は新しい生活を始めることになり、作風まで変わってしまいます。
しかし、海外生活が長くなるにつれ、次第に故郷に対する渇望がつのって行った彼は、自国の言語で小説を書き始めることになります。
そして処女作品の思いがけない成功。しかし、画家であるはずの彼がペンと原稿用紙で小説を書いている姿に妻リランは当惑し、不信感を抱いてしまう。そして、今度はこの小説を原作に映画を創るため、自らメガホンを取るという。それが、ますますリランの懐疑的心情に拍車をかける結果になるのです。イタリアのロケ現場から、いつしかリランの姿が消えていました。

映画「エーゲ海に捧ぐ」は原作とは大幅に内容が違っています。(私は未見ですが)
簡単な筋書きだけがあって、池田のその日のひらめきによって、撮影内容とか展開が決まる、という即興的なものだったらしいです。番組では、撮影にかかわった現地スタッフや主人公の青年役を演じた俳優が登場(ただのオッサンになってた)。当時を回想してのインタビュー。
この映画の最後で主人公の青年は命を落とすのですが、これはおそらく池田本人がこれまでの生活に決別し、新しい人生を切り開こうとしている暗示だろうと映画関係者が語っていたのが印象に残りました。
この映画撮影はリランとの離別と同時に新たな運命の出会いをもたらしました。日本人女性でいながら、世界的ヴァイオリニストであった佐藤陽子。当時29歳の目鼻立ちのはっきりした美女は、テレビ番組のリポーターとして、ローマにやって来ていました。撮影中の池田氏を取材するため、ホテルの一室で打ち合わせをしに行ったことがその後の人生を大きく変えてしまいます。
3歳よりヴァイオリン教育を受ける。わずか9歳で音楽留学のため、母親と一緒にモスクワに渡り、21歳までロシア(旧ソビエト?)で過ごします。恋多き激しい人生だったらしい。24歳の時、パリで日本の外交官と結婚。しかし、池田と出会った当時は、夫がいる身でありながら、妻子ある男性と不倫関係にあったというから、池田が誠実な人に思えて来ます。
これまで、クラシックにはまるで興味がなかった池田でしたが、初対面の陽子とは話も弾み、時間はどんどん過ぎて、酒瓶は次々空になって行きました。しかし、赤ワインをグラスに注ごうとして、陽子のスカートにかけてしまう。月経のように前の部分が赤くなってしまったので、スカートを洗濯し、乾かしている間、陽子はシーツに身を包む、という格好に。しかし、彼女は自分のそんな姿に恥ずかしがるふうもなく、無邪気に笑ってはしゃいで見せたので、それに胸を打たれてしまった池田は、彼女を抱きかかえて、寝室に突進してしまいました。それが満寿夫&陽子、激しく深い愛の劇場はじまり、はじまり。

最初に惚れたのは池田さんの側。陽子さんにとって、彼は好みのタイプではなかったそうで、人畜無害な人で、下心のない人だと思ったそうです。
「ほんとに下心はなかったかも知れませんね。」とテレビのリポーター。
「私だって、経験があったんだから、下心があるかどうかなんてわかるもの。」とあっけらかんと答える佐藤陽子。カメラの前ではけばけばし過ぎる舞台風メイクとド派手な衣装。ただでさえ大きな目がよけい大きく見えます。彼女の野太い声、話す調子、ボキャブラリーなど、どれも表現力豊かで、圧倒的な存在感があります。
佐藤陽子は池田の妻となって、彼の活動を支えるために、自らの音楽活動を制限する結果となってしまったそうです。彼と出会ってなかったら、陽子さんの人生もまた違ったものになっていただろうね、と言う人もいましたが、彼女にとっては、池田と過ごした時間の方がはるかに価値あるものだったと思います。過去にやりとりした手紙の数々を持ち出しては、少女のようにはしゃぐ佐藤陽子。彼らは今流行りの言葉で言うならば、"ソウルメイト"だったんでしょうね。
池田は自分の子孫を残すことを考えなかったのでしょうか?二人の遺伝子を受け継いだ子なら、天下無敵のベビーが産まれたはず。
離婚問題が片づかず、結婚式も挙げられなかった夫妻。夫婦で海外レポートに出かけて、現地の仕来りで結婚式を挙げた時のビデオを見て、涙ぐむ彼女の姿にちょっと目頭が熱くなりました。

「あの人はね、そんなエロエロ〜!って感じじゃなかったのよ。」という陽子夫人の発言もあれば、「彼は自分に常にセクシャルな存在であることを求めた。彼にとって理想のオンナとは、母であり聖女であり、娼婦であり、官能的であること」とかなんとか仰ってもいました。
男友達は「結局、あの人は母親的なものを求めていた。」と振り返ります。
親戚の方も登場して、「満寿夫の絵が海外で認められたのはうれしいけれど、もうちょっと普通に家に飾れる絵を描いて欲しかったわよねぇ。」と苦笑いしていました。そのことを本人に言ったら、『エロスというものがわかっていない』と言われたとか。あと、池田満寿夫が自分の従兄弟とか親戚だとかは、ちょっと恥ずかしくて言いたくなかった、と打ち明けています。映画のイタリア人スタッフが「彼は日本人の枠にはまらない考え方をしていたが、それが周りから理解されないことに、反抗していたと思う。」と言う発言をそのまま裏付けるエピソードですね。
最後に映画の中で使われていた、エンリコ・モリコーネのあの曲を佐藤陽子がヴァイオリンで演奏。映画自体は「芸術か猥褻か?」といろいろ物議を醸し出しましたが、あの曲は、誰が聴いても名曲です。

まだお子ちゃまだった頃、彼のことをやたらイヤらしい作品を創るヘンなおじさん、そのくせ版画とか彫刻とか小説とか、何をやっても器用で成功してしまうのはズルイ、と反感すら感じてました。しかも、何人もの女性をコマしてるというのも、私の嫌悪感をよけい駆り立てました。だから、敢えて映画も見ませんでした。
複雑な乙女心だったのですね。

参考ページ
池田満寿夫 年譜
池田満寿夫 プロフィール
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by marikzio | 2007-03-05 21:33 | Television | Comments(1)
Commented by りゅう at 2015-09-13 16:21 x
シリーズ恋物語 「エロスに生きた男 最後の恋」という番組があったんですね。未見です。情報、感謝。
池田満寿夫は、もっと評価されるはずと考えているので、記事を興味深く拝見^^
2015年9月には、神保町ファインアーツで展覧会がある模様。
行ってみる予定。
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