「眼球譚」  G・バタイユ  生田耕作 訳 
私はたいそう孤独な生い立ちだった。おまけに物心ついて以来、性的な事柄に悩まされ続けてきた。あれは十六歳頃のことだ、***海岸で、シモーヌという、私と同い年の女の子と出遭った。お互いの家庭が遠縁関係にあることがわかったとき、二人のあいだは急速に親密の度を加えた。知り合って三日後、シモーヌと私は彼女の別荘にふたりきりで残された。

この日をきっかけに、色情関係を繰り返すようになる二人。それも、しょっぱなから度肝を抜くようなアブノーマルな行為にのめり込んで行く私とシモーヌ。しかし、彼女が"卵"を使った遊びを発見し、執着するようになってから、二人の精神は暴走して行くことになるのです。
これは、1928年、ジョルジュ・バタイユの処女作"Histoire de l'oeil"。
彼は当時、国立図書館に勤務していましたが、あまりに衝撃的な内容だったため、"Lord Auch" という匿名で発表したという問題作。しかし、この"Lord Auch"、「便所神」という意味になるそうだから、完全に人を食ってますね。

私とシモーヌは、マルセルという気の弱い少女を自分たちの遊戯に巻き込むことになります。その数日後、数人の高校生たちとシモーヌの別荘で乱痴気騒ぎを起こしますが、その中に少女マルセルもいました。その乱交パーティのあまりのことにマルセルは箪笥の中で気が触れてしまい、精神病院に入れられてしまいます。
何とかマルセルを病院から奪還した私とシモーヌ。しかし、情緒不安定だったマルセルは首をくくって自らの命を絶ってしまうのです...。
警察沙汰を避けるため、スペインに向かった私たち。シモーヌと私はエドモント卿というイギリス人の金持ちを頼って彼に会いに行きました。エドモント卿とシモーヌは以前からの知り合いで、彼はシモーヌにご執心でしたが、まだ彼女に指一本触れていません。しかし、反人道的、性的嗜好の点で我々と一致するものがあって、この強力なパトロンの力を得ることになります。そして、セヴィリアの官能的な空の下、彼らが犯した究極の冒涜行為とは...。
キーワードは卵、闘牛の睾丸、そして眼球。
球体のかたちをした物は、人の心に性的興奮と狂気を呼び覚ますという荒唐無稽なストーリー。先の読めない展開、徹底したキリスト教的道義の破壊、寺院の中での大団円など、これはまさにマルキ・ド・サドの系譜。

それにしても、作者はなぜ、丸いかたちをしたもの、とりわけ眼球にこだわったのでしょうか?
<<初稿版「眼球譚」>>は第一部の『物語』と第二部『暗号』に別れています。
『物語』のパートはこの本編、『暗号』のパートは子供の頃に見たもの、体験したものが、どのように作品に影響を与えたかについて述べられています。

本編の中で、人気闘牛士が牛の角に頭部を刺されて、眼球が顔からこぼれ落ちる場面が描かれていますが、これは作者が実際に遭遇したものなんだそうです。牛を仕留めた闘牛士はその牡牛の睾丸を串焼きにしたものをもらう習慣があるそうなんですが、それを作中のシモーヌが生のままで欲しいとおねだりするくだりがあります。

シモーヌが坐るはずの場所には、白い皿が一つ据えられ、その上に皮を剥いだ二個の睾丸が置かれていた。その腺状物質は卵の大きさと形をそなえ、真珠色がかった白味をおび、薄く血に染まって眼球の色彩にそっくりだった。
「生の睾丸でございます」サー・エドモンドがかるい英語訛りでシモーヌに告げた。

皮を剥いだ牡牛の睾丸を見たことがなかった作者は、それが真紅色をしているものと想像し、そのように描写し、医者をしている友人にその原稿を読んで聞かせたところ、その間違いを指摘されます。動物のも人間のも睾丸は卵形をしており、そしてその外観は眼球のそれと同じであることを知らされたエピソードが語られています。

バタイユは神父の子として生まれていますが、その父は病に冒され、彼が生まれた時はすでに盲目で、半身不随の身だったそうです。
幼少時は父親に対して深い愛情と尊敬の念を抱いていたのに、思春期になる頃、それは無意識的嫌悪に変わって行きました。そして、ある日の夜、父は発狂して病院に運ばれることになります。少年バタイユは敬虔なクリスチャンだったそうですが、後に徹底した無神論者になったと伝えられています。
障害者の父はトイレに立つこともできなかったので、肘掛け椅子に坐ったまま用を足したそうなんですが、我が子の目の前でそれを行った時の父の白目をむいた異様な表情(とくに放尿の時の)が脳裏に焼き付いてしまったのだそうです。作中でやたら放尿シーンが多かったのも、このためだったのでしょうか?

そして、発狂した美少女マルセルのモデルについて、彼は自分の母親でもあり、カフェ・ドゥ・マゴで十五分間ほど私と向かい合って座っていた十四歳の若い女性でもあると書いています。
バタイユの母は父が発狂したあと、姑である祖母にそのことを責められたのをきっかけに憂鬱症になってしまったそうです。で、屋根裏部屋でぶら下がっているのを発見され、命は取り止めたものの、今度は真夜中に失踪。バタイユは身を投げたかも知れないと思い、川べりのあたりを探している時に、川から上がってきたらしい彼女とばったり出会い、その時の母親はすっかり人格を失っていた、という哀しいエピソードが下敷きになっているみたいです。

人によっては、悪趣味のてんこ盛り、とか思えないこの作品も、実はバタイユが子供時代に受けた心の傷の救済のために書かれた作品だったのかも知れません。
球体とは人間本質の原点なのでしょうか?
今まで一度も気にかけなかった"丸いもの"ですが、この途轍もなくヘンテコで魅力的な「目ン玉ものがたり」で、別の"目"が開かれようとしている私です。
なお、「眼球譚」は『目玉の話』というタイトルで新訳も出ています。

「マダム・エドワルダ/目玉の話」

ネタばれレビューがお約束の私ですが、問題の教会冒涜シーンはバラさないでおきます。そこの部分が気になる人は、是非ともお読みになってくださいな。
さぁ、読むのよ、これをっ!
Allez! N'hesite pas!
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by marikzio | 2007-01-06 11:47 | Book | Comments(2)
Commented by Rimbeau at 2007-01-06 22:09 x
ア~レ~!恐ろしい世界を思い出してしまった!

marikzioさんはどんな目が開かれたのかしらん?
私もいろんな目が開かれそうになって恐ろしや~でした。

バタイユさんのお父様のエピソードは本を読んで知りましたが
お母様にもそのような不幸があったのですね。。。

寺山さんと同じく、ご自身の生涯をモチーフにした
作品なのですね。

この記事読んだら、また読みたくなってきました!

ではAllez!(ア~~レ~~!)してきます!
Commented by marikzio at 2007-01-08 18:47
>marikzioさんはどんな目が開かれたのかしらん?

それはもう、魚の目・蛸・イボ、イボコロリ♪
って、下手なシャレはこれぐらいにして、私はお終いの方の「マルセルの目が私を見ていた」という記述がゾーッとしました。
シモーヌは十五年間に及ぶ放蕩の末、収容所に入れられ、35歳でその生涯を終えた、と書かれていますね。痴呆と拷問の末、見るも無残な姿で死んでいったそうですが、意外な結末に思いました。

Rimbeauさん、是非とも寺山作品上映会へ、Allez!
<< ウィンチェスター夫人のミステリ... RoBERT、コンサートのポスター >>


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