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「エーゲ海に捧ぐ」と「テーブルの下の婚礼」  池田満寿夫

1979年、画家、版画家、彫刻家、etc...と様々な肩書きを持つマルチ芸術家、池田満寿夫が監督したことで話題になった映画『エーゲ海に捧ぐ』。
美しいエーゲ海を舞台にほとんど全編、大胆なエロティシズム描写のオンパレードということで日本中で大ヒット。イタリアの官能女優"チッチョリーナ"ことイローナ・スタッラが出演し、その彼女がその後イタリアの国会議員に選ばれたことも大きな話題となりましたよね。
「エーゲ海に捧ぐ」と「テーブルの下の婚礼」  池田満寿夫_b0069502_18184596.jpg

これ、おそらく最近のイローナさん。
50歳過ぎてるのに、この匂い立つフェロモンには脱帽です。

画像元 チッチョリーナの公式サイト

下宿先の女性と愛欲の日々を送る芸術家志望の青年。その下宿には白痴の美少女がいる。
ある日、金持ちでセクシーな娘(チッチョリーナ)と出会い、彼女は青年の才能と美貌に興味を抱く。「パトロンになりましょうか?」とか何とか持ちかけ、自分のお屋敷に連れて行く。その豪邸はエーゲ海が見渡せるようなところにあって、ゴージャスなリゾート地でチッチョリーナやその他の女性と繰り広げられる情交の数々...。
私は本作品を観たわけではないのですが、こんな感じの内容のようです。しかし、最後に、白痴の少女が戯れに拳銃をいじっているのに慌てた青年が、銃を自分に渡すように言うのですが、発砲した玉を心臓に受けてしまう場面は見ました。このラストは結構好きです。
映画『エーゲ海に捧ぐ』は池田氏が1977年に芥川賞を受賞した短編小説「エーゲ海に捧ぐ」と「テーブルの下の婚礼」がネタ元。
今日はこの2作品を紹介したいと思います。実は原作にはエーゲ海もイタリアも登場していないのです。

「エーゲ海に捧ぐ」

サンフランシスコのアトリエにいる彫刻家の私。そのアトリエの真ん中にはベットがあって、愛人のアニタが全裸で横たわっている。そして、アトリエにはもう一人、彼女の友人であるグロリア。
写真家であるグロリアはアニタを被写体に写真を撮ろうとしている。アニタの身体には強烈な照明があたっていて、ライトの熱で肌が汗ばんできているほど。
そして、自分は延々と続く妻トキコからの国際電話に縛りつけられている。10年間連れ添ったトキコを日本に残して自分は外国に行った。彼女の同行を拒んだのは、自分の芸術を極めるために一人になりたかったから。孤独になって、孤立無援の状態になりたかったから。妻は自分に女がいると確信していて、そのことについて、くどくどと自分を責め続け、自分がどんなに私のことを愛しているかを訴えている。
「イタリアに飛んで行こうとも考えた。でも、あなたのアパートを突き止めてドアを開けたら、慌ててズボンを引き上げるあなたの姿を目にするような気がしていた。そして、あなたの後ろで震えている女の姿も。」
妻の読み通り、イタリア旅行中に私はアメリカ人のアニタに出会った。アニタはグロリアを自分のアトリエに連れて来たけれども、グロリアは自分の女ではない。何故なら、私はグロリアの"エーゲ海"(アニタのは"地中海"と表現している)を見たこともないし、モノにしたこともないから。
しかし、どうやらグロリアはアニタにご執心のようである。妻からの長電話で身動きとれない私の前で、グロリアはアニタに接吻し、身体を愛撫しはじめたから。
この作品はストーリー性よりも、エロチックなシチュエーションと視覚的描写に重点が置かれています。アニタの足の裏にとまっている蝿(ガラス製かもしれない)とか、両脚の間に広がっている海とか、グロリアのセーターの上に隆起している乳首とか、"観る男"マスオさんの手腕が余すところなく発揮されています。
自分の目の前でとんでもないことが起こっているのだけれど如何せん、トキコが電話を終えてくれない。国際電話の料金は自分持ち。こうやって自分の貯金が着実に喰われていくのをトキコは復讐にも似た思いで面白がっている。早々に電話を切ってもよさそうなのに、男として、自分から電話を切ることもできないようで、それをトキコもわかっているので、尚更電話が長引いて行く。
電話している私をグロリアは見つめ、視界を何度か横切っては時々見えなくなる。しかし、そのグロリアが驚くべき行動に出た。床を這いながら私に近づき、私の脚の間に割って来た。そして、私のズボンを脱がし始めたグロリア。あれ、男嫌いじゃなかったの?
私はグロリアのブロンドの頭髪にささっているカンザシを認めた。しかし、トキコとの会話に気をとられた次の瞬間、そのカンザシがなくなったような気がした。

予感した通りだ。グロリアのカンザシが見えない。いや、そのカンザシは今は彼女の銀色の手に握られている。カンザシの突端が針の先のようにとぎすまされている。


「テーブルの下の婚礼」

主人公は画家志望の青年。芸術大学受験をめざし、上京したものの、デッサン研究所を出入りしているだけで、その研究所も最近通っていない。同じ芸術家をめざす友人のNが住んでいる下宿にしばらく身を寄せることになった青年。
Nがその下宿を一時的に留守にすることになり、その間、自分がNの部屋で生活することになった。その主人公にはちゃんと別な下宿先があったのに、友人が部屋を空ける間、代わりに自分が暮らすことになった、という設定が不自然。
その下宿にはサキコとその妹であるサキ。そして、姉妹の母親、という3人の女性が住んでいる。サキは12歳の少女。2階の下宿部屋に頻繁に上がって来ては、昼寝している主人公をで寝ている青年を見下ろしている。どうやら彼女は知的障害者らしい。
彼はこの少女に奇妙な欲望を覚えていて、何度も夢の中で裸の彼女が登場している。エロチックというより、「飴のように長くのびたサキの裸体が自分にからみつく」というかなり奇異なシチュエーションなのだが。
サキコは32歳の独身女。外に出て働いている、というわけではないらしい。昼間なのに、いつも腰まである長い髪を洗って、背中に滴を垂らしている。ワンピースの下にズボンを履く、という珍妙な格好。(平成の現在はそういうスタイルの女性もよく見かけますが、この小説の時代設定は昭和30年代らしい)。
お世辞にも器量よしと言えるタイプではなく、料理も家事も達者というわけではないらしい。その年にもなって未だに独身というのは、病人の母の看病と知的障害の妹の世話に追われて、婚期を逃したのかもしれない。
しかし、青年がお気に召したようで、頼まれもしないのに、彼のパンツとか下着まで洗ってくれる。Nの話だと台所も使わせてくれない、という話なのだが、青年には食事まで作ってくれるのだ。その上、お金に困っている彼におこずかいまで渡しているのだから。
サキコの話によると、Nは自分にプロポーズをしてきたのだが、お断りしたのだという。
青年はNが下宿代を工面するのにも困って、サキコと一緒になろうと思ったのだろうな、と考える。それほど、サキコは魅力に乏しい女性。
当然彼はサキコにまるで魅力を感じないのですが、困ったことに下半身だけはモヤモヤしているんですよね。ある日、いつものようにサキが2階の部屋にやってきて、ついつい青年は少女のワンピースを脱がしてしまう。しかし、少女の処女性までも奪うことはしませんでした。
そして、ある日の夜、欲情してしまった青年は姉のサキコを押し倒してしまうのです。そして、テーブルの下に転がる二人。
それから1週間後、寝たきりだったサキコとサキの母が亡くなり、サキコと青年は毎日のように、テーブルの下での婚礼をする。養護学校に通うサキがいないまっ昼間、テーブルの下でサカリのついた動物のように夢中になる二人。しかし、行うのはいつもテーブルの下。せめて2階の自分の部屋に行きたいと思うのだが、サキコがそれを承知しない。理由は「男が女の部屋にやって来るのはいいけれど、その逆パターンは嫌。」男が女の家に通っていた平安時代の価値観をサキコは未だに心のどこかに引きずっているらしいのだ。ならば、下の階の8畳間で、となると母親の遺骨が置かれている前で自分の脚を開きたくないので、そこも断固拒否。で、結局二人が愛を交わすのはテーブルの下、ということになってしまう。
それにしても、待てど暮らせどNが帰って来る気配がない。二人の間に関係が出来てしまった今となっては、Nの居場所などなくなってしまった。ひょっとしてNはこの家から逃げ出したのかも知れない。エキセントリックな姉妹と瀕死の病人しかいないこの家の陰気くささに彼は耐えられなくなったのかも知れない。でも、自分にとっては、この家は居心地がいい。いつでも受け入れてくれる女がいるし(本文の中ではもっと露骨な表現でした)、衣食住の心配もバイトの必要もないから。研究所にも行かず、絵も描かず、ひたすらサキコとの行為に溺れる毎日。
正直言って、官能的というよりグロテスクで嫌悪感すら抱いた私です。魅力的とも思ってない女と毎日を過ごし、画家になるという志も放棄して空虚な毎日をおくることを甘受してるなんて、これほど怠惰なことはないではないか。蝸牛の殻に閉じこもっていくようなこの閉塞感。「テーブルの下の婚礼」というタイトルこそ意味深だけど、太陽と女体がまぶしい映画の世界とはあまりにもかけ離れています。
しかし、ついにこの不毛な愛欲生活にも終焉が来るんですね。不注意にもサキに"その行為の現場"を目撃されてしまう二人。サキは学校に行かなくなり、その間、"テーブルの下の婚礼"はおあずけになってしまうのです。
悶々とした思いがつのって行く青年。そんなエネルギーがあるんなら、別なモノに向けんかい、と突っ込みたくなってしまいます。
そんなある日、青年は2階で不気味な夢を見る。遺骨の灰が天井から降って来て、自分が灰の中に埋まってしまい、瀕死の状態でいるという夢。夢から醒めた彼が2階に降りて行くと、ギョッとするような出来事があって、青年は下宿を飛び出してしまう。そして、本来自分が入居している、仲間とともに生活していた下宿に久しぶりに帰る青年。そして、友人の口から語られた衝撃的な事実。

「実はNはあの家の白痴の娘を犯していた。」
「白痴の娘の他にもう一人いるよ、32歳の姉が。」
「娘は一人だけだったと聞いてるがな。32歳の姉だなんて、ずいぶん歳が離れてるな。あっ、その年増女と12歳の少女は親子じゃなかったっけ。」


あまりのことに混乱してしまう青年。
"Nは少女を犯していた"
"Nはサキコをも犯したのか"
"サキとサキコは親子なのか"
"ならば、サキの父親は誰なのか"

この4つの事項をどうしてもはっきりさせたくて、再びサキコとサキの下宿に向かう。
玄関に入ると、家の中は薄暗く、二人の姿はなかった。風呂場にもトイレにもいない。ひょっとしたら二人は2階の部屋にいるのかも知れない。姉妹がそこで自分を待っている、という思いに捕らわれる青年。今の自分にはどうしても究明しなくてはならない4項目があるのだ。

私は階段の上り口でこのまま上がるべきかどうかをためらっていた。いつもの暗い階段が私を拒絶しているようにも招いているようにも思われる。昨夜の夢が脳裏を横切る。二階の六畳を領有している灰の表面に、今度は姉妹の首がつき出し、私の方に向かって妙にうれしそうに微笑を浮かべているような気がする。背後で物音を感じたので居間の方へ振り返った。腰をかがめて、ほとんど判別し難いテーブルの下を遠方から眺めた。暗闇のなかを一匹の蛾がテーブルの脚にぶつかったらしいにぶい音がした。

by marikzio | 2006-11-19 19:04 | Book | Comments(0)

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