「午後四時の男」 アメリー・ノートン 柴田都志子 訳
2005年 08月 25日
原題は「Les Catilinaires」。前1世紀ローマの雄弁家キケロの有名な演説の冒頭部の一句から由来しているそうですが、一般の日本人にはあまり馴染がないので、この邦題にしたそうです。
主人公は定年退職したばかりの元高校教師、エミール。43年間、共に結婚生活を続けて来た妻のジュリエットは小学校からの幼なじみで、子どもはいませんでしたが、ともに65歳を迎えています。
都会で生まれ育った彼らにとって、人里離れた田舎で静かに暮らすことは、ずっと以前から望んでいたことでした。自然が好きだから、というのではなく、とにかく世間と没交渉でいたい、人とのかかわりで煩わされず、世俗の営みから自由になりたい、という切実とも言える欲求からだったのです。
二人は理想的だと思われる物件にすぐ出会います。
この「家」こそが、自分たちが探し求めていたものだ。自然に囲まれているが、4キロ先に村があって、そこから日用品や食料品を調達することができる。ご近所と言えば、小川の向こうに隠れて見えないような家が一軒あるだけ。その家にはお医者さんが住んでいると言う。
まさに願ってもない別天地!子どもの頃から思い描いていたような情景がそのままにあり、唯一のお隣さんは医師で、これから隠遁生活に入ろうという夫婦にとって、それは心強い背景になるはずでした。
夫婦は胸いっぱいの期待で新しい生活をスタートさせますが、「家」に引っ越してから1週間たった日の午後4時、ドアを叩く者がいました。
小川の向こうの家に住む、ベルナルダン医師。わざわざ向こうから挨拶に来てくれた訪問客をエミールとジュリエットは「家」の中へ招き入れます。
しかし、このベルナルダン氏、どうも様子がおかしいのです。肘掛け椅子にどかっと座ったまま、ほとんど何も喋らないのです。
エミールが向けた質問に対して、反応がかえって来るのに、十数秒。しかも、「ええ」や「いや」と答えるだけで、とても会話が続きません。
しかも、いかにも不愉快そうな表情で、「嫌々ながらここにいる」と言った風情。相手が発語しないので、こちらが沈黙していると、「自分を無視して何も喋らないなんて、失礼な」と医師に無言で責められているような気がして、その重く淀んだ空白に耐えられず、エミールは何とか間をもたせようと必死に話題を探します。
医師はこの家でたっぷり2時間過ごした後、自分の家へ戻って行きました。重苦しい地獄のような会見を終え、二人は安堵のため息をもらします。
あまり楽しそうな感じではなかったので、もうここに来ることはあるまい、と思っていたのに、翌日の午後4時、ご近所医師はまたやって来ました。次の日も、その次の日も...。
午後4時きっかりに、ドアを叩いては6時まで時間たっぷり居座る、ぶよぶよした脂肪のかたまりのような男。無口で、夫婦の問いに対して余計な事は言わず、質問によってはいかにもムッとした顔をしたりして、常識では考えられないぐらい社会性が欠如しています。
この人はほんとに医者なのか?
それでも、彼は心臓の専門医であり、この村で小さな総合病院を経営しており、奥さんがいて子どもはいない、という情報だけは得ることができました。
これまでに経験したことのない、窮地に立たされた二人は4時前に散歩に出かけたり、居留守を決め込んだりします。
すると、なんとこの男、ドアが壊れそうなぐらい強い力でドンドンと執拗に叩きつけるのです。
その恐ろしさに負けて、ドアを開けてしまうエミール。その日は妻が体調を崩し、「2階で休んでいるので、あなたの相手はできない」と訴えたにもかかわらず、「コーヒーをもらえないかね」と医師はずかずか人の家にあがり込みます。その上、ジュリエットが休んでいる2階の寝室にまで押しかけて来て、「自分を居間にほったらかしにして」と怒り、エミールにカップを突き出し、「お茶が冷めてしまった。いれ直してくれ」と要求までするのです。
夫婦は医師に「奥さんと一緒に夕食を」と提案します。
医師は自分の妻を連れてくることに難色を示しますが、二人の説得に負けてついに承諾します。
次の日、医師は奥さんを連れて現れました。
ベルナルダン氏よりさらに体が大きく、肉の塊のような怪物としか言いようのないベルナルダン夫人。顔には鼻がなく、漠然と穴らしきものが開いている個所が鼻孔の代わりをしている、といった風情。目はただの小さな裂け目の中に眼球らしいものが埋まっている、口はタコのようで、夫に向かって話す時、ゲップのような音を出すが、他人にとっては何を言っているのか理解不能、という旦那をはるかに上回る強烈キャラぶりです。この医師は障害者を妻に娶ったらしい。
毎日のように家に押しかけては、2時間しっかり居座る無礼な男をエミールは何故か追い返すことができません。
本来、育ちがいいうえに、他人に対して露骨な態度をとってはならない、という社会的なマナーが体に染み込んでしまっている彼は、結局、この「午後4時の男」を受け入れてしまうのです。
しかし、あることをきっかけに、この男に対する怒りが増幅され、頂点に達していたエミールはいつものようにドアの前に立っていたこの大男に対し、感情を爆発させます。
「出てけ、この迷惑野郎!そんな面なんか二度と見たくもない!」
怒りのパワーにまかせて、この図体のでかい男を突き飛ばし、平手打ちのようにドアを荒々しく閉めてしまいました。
「こんなに簡単なことだったのか!」
男の訪問はこの日を境にあっさりと途絶えてしまいました。
そして、ここに引っ越しした当時のように、何者にも邪魔されない平和な日々が二人に戻って来たのです。
ベルナルダン医師が家に来なくなってからしばらくして、夜中に目覚めたエミールは外から不審な物音を聞きつけます。
真夜中、家の外に出た彼は、その騒音が小川の向こうの医師の家から聞こえてくることを知りました。医師の家の前まで行ってみると、音はガレージがら発生しており、そのガレージの中で、なんと!医師が車のエンジンをかけっぱなしにして自殺を図っているところでした。
ガレージの窓ガラスを割り、医師を助けだし、レスキュー隊を呼ぶエミール。
医師の家ではあの巨体で障害者の奥さんが眠っているはずであり、彼女の無事を確認するべく、こわごわ医師宅に侵入することを決意します。
その中には想像を絶する光景がありました。
以前日本のバラエティー番組で頻繁に登場した"ゴミ御殿"さながらの描写が延々と続きます。腐った食材やゴミの山で埋め尽くされた空間、吐き気をもよおすような異臭...。
思わず笑ってしまうような展開です。
アメリー・ノートンの書くお話は一見、奇をてらっているようで、非常に古典的だと思います。
この本の中ではベルナルダン夫妻という、最強コンビが登場しますが、こういう逸脱したキャラクターは昔話や名作と言われる古典にもよく登場しているような気がします。
しかし、彼女の過激な想像力が小説を現実離れしたものにし、奇抜なストーリーとして読む者を惹きつけます。
豊富なボキャブラリー、難解な比喩のわりにあまり文学的価値が高いとは思えないのですが、さすがベストセラーの常習者、読ませるツボを心得ていると思います。
しかしながら、相変わらず、人物像の描き方とか、話の展開が強引で乱暴です。
本作でも、エミールが自殺未遂をした医師に向かって「私は間違いを犯した。君を助けるべきではなかった。君のそれはとてもまっとうな人の人生と呼べるものではない。早くこんな生活を終らせたかったんだよね。」と言い、最後には医師が最後を遂げる手助けをするのです。
人間の心の裏側を暴いた衝撃作!みたいな評論をされたりしてますが、なんかあんまりだなぁ、というのが私の感想。
別にベルナルダン医師に肩入れしている、とかそういうわけではないのですが、アメリー女史が誰かに向かって「アナタの人生ってサンサンたるものよね。こんなヒドイのってないわよ、そうよね。」勝手に決めつけてるみたいで、すとんと落ちないものを感じました。
まぁ、彼女の書く小説ってたいてい強引な展開に持っていくので、いつもこんな感じなのですが。
でも、彼女の本を見つけるとついつい読んでしまう。突拍子もない展開で退屈しないし、一日で読んでしまえるぐらいのボリュームです。(古典から引用している部分も多くて、翻訳者にとっては大変らしいのですが)
これってベストセラー作家のポイントですよね。